小さな旅その3

mklasohi2011-05-18

次の朝、バスに乗り、省政府近く、「水果湖小学校」の朝の送り迎え風景を眺めに行く。


大学内の小学校でも送り迎えはあるが、こちらはもう少し早い時間だとバスの中は孫を送るじじばばで一杯だとか。今日は時間が少し遅く通勤人の方が多かった。校門前では当番さんたちが「老師好(ラオシーハオ)!」と出勤してくる先生たちに挨拶をしている。
中国では退職後の老人の楽しみは孫と鳥の面倒を見ることとも言われるが、送り迎えは親が半分、老人が半分ぐらいかな
孫の赤いスカーフを直してあげているおばあちゃんなどしばし写真に撮る。


そして朝食のために、地元の人の朝ごはんの場所「水果湖菜市場」へ向。1階が小吃(軽食)街。2階は生鮮食料。つまり市場なのだが、日本のデパ地下の食品売り場のような、賑やかさと清潔感。お酒の甕、小麦粉を料理の店。

             
もとはと言えば昨年9月だったか、楊君と一緒に大学の近くで涼麺を食べた時、「水果湖の涼麺の方がずっとおいしい」と力説するので、じゃ、連れて行ってねと言っているうちに、秋風が立ち、冬が来て、涼麺向きの季節ではなくなってしまった。そしてまた巡ってきた夏。だからこの日は、武漢の定番朝ごはん「熱干麺」ではなくて、「涼麺」がこの旅のクライマックスなのだ。

これが噂の「水果湖の涼麺」。少し平たくて細い麺に胡瓜、もやし、ピーナッツなどの具、お酢は少し控えめだが、うん、うま〜い。隣人のラーメンに魅かれてこれも取ってみたが、またまた、ん、まぁ〜い。

このような武漢の小吃(軽食)街は観光客向けに「戸部巷」が擬古典的な整備もされているし、「首義園の美食街」にも老舗が集まっている。が、なんというのだろう、清潔感、温かみ、食の安全性を取ると、この「水果湖菜市場」が一番だと思う。省政府に近いため、厳しく管理さ、品質の高さが守られているのだそうだ。2階にある野菜もすべて安心な野菜。
楊君がナンの様な小麦粉を練って焼いたものを買ってきてくれたが、これまた、粉自身のうまみが生かされとてもおいしく「面食(小麦粉好き)」の私には感動的だった。


市場の外は小さな歩行者天国
通りに面して立派なメガネ屋さんや文房具屋さんが並んでいる。文書とペンの生活とその歴史が感ぜられる。市場では階段手すりを拭いている人、通りではごみ箱を磨いている人を見かけた。日本は基本的に清潔な国だから、こうした違いを肌で感じることはあまりないが、分別ごみ箱があっても誰も分別もすることなく捨てる武漢でここまで行き届いた場所を見たのは始めてだ。日本の県庁所在地との違いは、近くにこのような町の人の台所があるかどうかだろう。職住接近の中国ならばのことだと思う。

朝の取材まで時間があるというで、公園のベンチで、太極拳をするおじいさんを見たり、集まってきた老人たちを眺めたりした。
誰かの娘がお金持ちになったとか、誰かが入院したとか。おそらく日本の老人とさして変わらない話題だが、ややあけすけな感じがする。楊君に言わせると、時にはお嫁さんの悪口もいい、すっきりして家に戻るのだと。
そのあとも朝の用事を終えたおばさんたちの踊りの練習を眺めた。「夜外で遊ぶ大人たち」といい、お金もかからず健康にもよい。こればかりは、日本よりずいぶん健康的な生活だと感じる。すべてがそうとまでは言わないが、「ひきこもり日本」と「外でみんなで発散する中国」。いくらかそういう違いがあると思う。

六月一日の児童の日を前に、楊君は中南路のデパートの子供服売り場を取材に行くというので、私は買い物によって、別れることにした。空気清浄効果のある観葉植物を引っ越し祝いに送りたかったが、よいのがなくまた今度となった。


中南商城(デパート)は隣の外文書店のところまで取り壊しが終わっている。ちなみにこれが、2005年の6月に写した写真。このころはピカピカのデパートだった。デパートは取り壊さないらしいが外文書店は無くなるらしい。
革命記念日までにどのくらい突貫工事が進むのでしょうね?
 


いずれにしても、素敵な武昌の旅の企画に心から感謝。