小さな旅その2

mklasohi2011-05-17

その夜、ほとんど漢口との対岸、徐東まで行って辛〜い「干鍋」の晩御飯を食べ、楊君の新聞社の新しくできた独身寮に泊めてもらった。
10平米のビジネスホテルのような簡素な部屋。男女の記者が階ごと分かれて住む。ホルムアルデヒドの匂いが気になると多くがまだ入居していない。だから楊君もいまだ外でルームメートと暮らしている。
匂いが気にならないなら、使ってくださいと言ってくれた。あまりできない体験。ほんとにいいの?と聞いて、まだ未入居の部屋に一人泊めてもらった。夕食を共にした楚天都市報記者のZ君も、入居、観葉植物と酢を買い、紙コップに酢を分けてくれた。空気清浄の効果があるということ。

窓の向こうには、上司の人たちの住む宿舎、暗い雲の合間から、真珠色の月。そして月を目指すように彼らの新聞社が入っている楚天伝媒大厦(湖北メディアビル)が見える。23階建のガラスのビルで、歩いて3〜5分ぐらい。職住接近が基本の中国。

広い社区の並木を歩きながら驚いた。
ごみが一つも落ちていないのだ。もちろん清掃の人いるのだろうが、そういう人がいても、あるいは「いるから」こそとごみをあちこち捨てる人が多い武漢。それが、明かりに照らされた夜の道がなんとも「さらり」としているのだ。新聞社に勤める人たちといえば、インテリ層。中国の知識人の暮らしってこうも違うのかと驚きながら、あたりを見回すほどだった。

布団をとりに楊君のアパートまで行ったときに歩いた外の街角も、どこか武漢一般の町よりも爽やかな夜風が吹く。

このあたり、水果湖という町。「水果」は果物と言う意味だが、博物館、研究所、省政府などのある政治と文化の町で毛沢東が住んでいた湖の岸辺の東湖賓館も近くにある。

楊君が企画してくれた小さな旅は、この「水果湖に一泊して月曜朝の町を探検する」というものだった。確かに武漢に6年いても、水果湖はあまり行ったことがなく、大学の深窓にいると外の様子は知らないに等しい。

次の朝、6時50分には迎えに行きますからね、といいつつ、遅れたのは楊君本人だったけれど、
何から何までお世話になり、もちろん不満などありません(笑)。