拆(チャイ)

雨ばかりでさすがにお日様が恋しい。3年前などはよい秋の日が続いて気持ちがよかった。
お昼に麺を食べに出たついでにキャンパスに隣接する通り(堕落街)を20分ぐらい散歩した。先月から取り壊しが始まっている。迷路のような怪しい狭い道の両側の通りも次々と壊されレンガがむき出しで、戸惑い気味の犬のお母さんがこっちを見ている。
   壁に、拆(チャイ)−取り壊し、とある。
私のワンダーランドがまた一つ消え去ろうとしている。
先月東京の友だちが来たとき寄った甘栗屋さんはどうだろうと行ってみると小母さんがまだいた。「半斤(250g)ください」というと、いつものように一個一個選んで4角まけてくれた。
「小母さんのとこ、どこに移って商売するの?」「わかんないよ。」「え?まもなく取り壊しでしょう?」「そう。でも、どこで商売が続けられるかはお上のやることだからわからない。しかたないさ」「この前日本人の友達がここで買った栗おいしいねぇって言ってましたよ…」「うん、覚えてるよ。」
すると、後ろから叔父さんが、「日本は発達した国だから、あっちで商売すると高く売れるだろうねぇ」と。「ええ、みんな甘栗が好きだから、歓迎しますよ」
少しぐらいきれいなお店が揃ったとしても、あの想像力を掻き立てるような空間になることはもう2度とないだろう。