8月の光

mklasohi2008-08-08

フォークナーの小説ではありませんが、8月の光が木の間からきらきらと道を照らす。気がつけば、立秋を過ぎている。昼間は暑い武漢も、これからは夜に少し涼しい風が吹くと服務員さんがいっていた。
TVの中の北京では、開幕式までのリレーが続いている。功なり名を遂げた人は大きなおなかを震わせて走っている。今日のお天気は武漢のほうがいいですね。開会式は無事に行われるかな。
リレーを見ながら、かつて日本でもそうであったように、オリンピックが時代を画す行事であることを感じる。「北京歓迎ni」のきれいな歌が何度も流れてくる。
一時帰国までに仕上げたいことでいっぱい。8月の20日には大連外大に飛び発表、その後は広島県立大のT先生と南京大学社会言語学実験室のX教授の交流のお手伝いをして26日ごろ帰漢の予定。
やっと自分の専門でも日中の間を少し取り持つことができそうだ。3月に香港でx先生にお目にかかって、細々進んできた計画。
x先生は中国社会言語学学会の副会長でアメリカの社会言語学を学び、シンガポールや南京などでのバイリンガル調査などがある。事務連絡ながら、メル友で何度かやり取りができたのは光栄だった。
さてタモリさんの白紙の弔辞「私もあなたの数多くの作品の1つです」という言葉は胸を打ちますね。いろんな人との出会いにより自分という「作品」は作られていく。自分が見たもの、聞いたものからも。
外は、8月の光と蝉の声。