影絵の向こうの西安

mklasohi2007-11-16

昨日から宿舎にも、やっと暖房が入った。東北4省以外は11月15日が暖房解禁日なのだそうだ。西安武漢よりよほど寒くて、耐え切れず厚い下着を買いに走った。
 さて、西安の旅(たぶん)最終篇は記憶の底に焼きついた絵のこと。それは、最初の晩に武漢から移られたEA先生と見た影絵だろう。鼓楼の裏手の回族街を歩き、佇まいに魅かれて入った「西安北院門144号民居」。
400年の歴史を持つ科挙合格者の四合院で、石造りの奥へ奥へと昔の人の生活の後が広がるその一間で、陝西省民間に伝わる「皮影劇」と呼ばれる影絵を見た。15分程度の愛情故事で、「さぁてここで一服しようじゃないかぁ」と男の影絵が煙草を吸うところから始まる。影の向こうに煙草の煙が立ちのぼる。
今回の学会(日本語、日本語教育)は中国人の先生のご発表だけだったが、何かと勉強になった。それはまるで、影絵の登場人物のように次から次へと現れ、私はまったくの観客で、第三世代にわたる中国人の先生方の発表を日本語/中国語で聞いた。
文革経験世代の先生方は学習ツールの乏しい時代、血のにじむような苦労の末、現代中国の日本語教育界を指導する学識の深い層を形成されている。第二世代の先生方の多くは日本留学経験者で博士号を10年程度かけて取られている。中には上海の大学で教える女強人先生「上海の飛行場に車を置いてあるの、一日運転しないとむずむずするの。コロンビア大学の学会にも行ったし、パリにも。全部学校が費用を出してくれたの」…(はぁ)。
第三世代は日本で修士をとって教えている先生や、博士在学中の若い男の先生たち。発音、そのとんがった髪型、白いカッターシャツをジャケットの下からわざとはみ出す着こなし…日本人と区別がつかない。大きな驚き。今晩その先生から写真添付のメールをもらったが、メールの文章も日本人と見分けがつかない…。
 「それは愛情故事で〜」と始まった影絵は、方言で語られ、終わって灯りがついたとき、10人もいない観客の中国人の人たちも「さっぱり分からなかったよ、おじさん」と笑いながら二胡をかき鳴らし、歌い上げていたおじさんに声をかけていた。
 影絵の向こうの物語。次も面白いものを見に行きたい。