徒手空拳-西安

mklasohi2007-11-15


おそらく西安最後の写真は右のものになるはずだった。最終日に西安外大の宿舎を出て泊まった「永寧宮大酒店」、窓からは城内を囲う城壁と南門が眺められる。外観とロケーションから泊まってみたくなって院生Wさんのお兄さんに取ってもらった。やや贅沢480元。

街は武漢より少しだけ古さを感じさせる。古都の雰囲気を崩さないように計画され、厳しい衛生条例により世界の観光都市の誇りを作り上げたそうだ。おそらくゴミは武漢の十分の一以下だろう。バスの中も清潔感がある。スタバでは外国人がゆったりコーヒーを飲んでいて、一瞬どこの国なのかわからないぐらい。到着した9日午後に日本人のお知り合いと一緒に鐘楼の近くのスタバに座って薄暗くなるまでお話をした。わたしはそんなにスタバ党ではないのだけれど、働き蜂も羽を休めたかった。


南門から鐘楼まで歩いて15分程度の道は中華風5番街でヴィトンやグッチなどの店がある。ショーウインドーをのぞくと男性マネキンの髪や顔かたちが面白い。前日に兵馬傭でみた徒手徒拳の軽装歩兵だ。2000年前の素手の勇敢な兵士がカジュアルな洋装で立つウィンドーガラスには鐘楼が映る。ここは13もの王朝が都を構えたところだ。だれが何を考え、誰がそれに従ったか、従わなかったか。あの有名な人物たちと私は、今出会っているのかやっぱり出会っていないのか。不思議な思いが交錯する。

Sight seeing
兵馬傭博物館と華清池、それから大雁塔へ行った。兵馬傭は大きな体育館か、どこかの大きな発着駅みたいで、世界のいろんな言語が聞こえてくる人垣の向こうに壮観な光景が広がっている。それが全部一人の人のために造られたものという贅沢は、封建社会でしかなしえないものだろう。その地点からどのくらい歩きだしたのかな、中国は。
その夜、Wさんのお兄さん(西安科技大経済学の先生)に大雁塔の噴水が見えるケンタッキーでご研究中の「農村の金融制度」についていろいろと話を伺ったが、中国には中国でしか解けない13億人のための、金融制度がありそうだ。農村を救う経済理論が生み出せたらノーベル奨がとれますね、などと話をした。


兵馬傭のあとに寄った華清池は温泉で楊貴妃が「凝脂を洗った」ところ。その滑らかで豊満な体をお湯の中で揺蕩えて夢見たことは何だったのだろう。弘前に留学したことのある中国人の先生が温泉に入る意思強固でそのおかげで私も各王朝の皇帝貴族が浴びたお湯につかることができた。しかも個室の温泉なんて生まれて始めて。上がって服を着て外にでると入らなかった先生たちに「楊貴妃になって出てきましたね」と予定通りのお世辞を言われた(笑)。


美食

Wさんのお兄さんに「西安飯庄」という1929年にできた由緒ある店につれていっていただいた。西安事変の処理の話し合いが周恩来、張学良たちとの間で行われ、国共合作の元になった記念すべき場所なのだそうだ。そこで西安特色の小麦粉を使ったいろんな小吃を取ってもらった。素朴な小麦粉を雲の如く、花の如く、甘いもの、塩味のもの、野菜と混ぜ合わせたものに変化させ作られた点心が並び、なんとも満足な小さな宴だった。