漢口と橋の上で

mklasohi2007-02-27

冬休みもだんだん残り少なくなってきた。
昨日はおよそ一週間ぶりに大学の門を出で学生2人と会ってきた。漢口へ行き、1人の学生の母校(高校)などを案内してもらったのだ。
武漢市第十九高校といい、1911年創立というから、辛亥革命のあった年。フランス人の建てた学校で、当初は女子教育を行った学校だそうだ。武漢一の繁華街・江漢路にも近いため、こじんまりとはしているが赤レンガの瀟洒な建物で、休み中の昨日も、校庭でバスケットボールをしている男子生徒や、6月の受験決戦のため、休み返上の補習を受けてる3年生たちもいた。
洋風の学び舎の秩序正しい雰囲気、廊下の壁には中国の詩人などの絵の額が飾ってあって、それに混じって卒業生の中から優秀な業績をもつ人たちの額もあり、北京大学へ進学しCCTVのアナウンサーになった人の写真などもあった。そんな先輩たちをみて奮起せよということなのだろう。

この学校の進学率は高いが、それでも1割の生徒は受験に失敗し、就職したり、専門学校などにいくということだが、モデルになる子も結構いるそうだ。バスケをしていた男の子たちのファッションもストリート系で、つまり都会っ子なのだ。
 観光客がわざわざ通らないような社区(住居単位)へ行ったり、春節の晩に火事にあったという彼女の友達の家のほうも案内してもらった。古い商店街で二階が住居になっていて、2階が横並びに12軒焼けたそうだ。春節の晩、隣家の子どもが花火を投げ落としたのが原因のようだ。私は皆が喜びに沸き立つ春節の晩に焼けたという場所にはカメラを向けられない。
 迷路のようなところから馴染みのある通りにでる。これが街歩きの楽しみ。
その後、食事を共にして夜、長江第一橋を渡り始めた時、また一つの情景に出くわした。
長江岸の遠くに上がるお祝いの小さい花火に見とれていると、運転手さんの後ろに小柄な男子が立って喋り始めた。
 「おじさん、おばさん、僕は誰も面倒見てくれる人のいない人間です。いまから、ここで歌を歌いますから、どうぞ食事代を恵んでください、おじさん、おばさんよろしくお願いします」。
 バス停で物乞いのおじいさんやお婆さんはよくいるが、バスの中のパフォーマンスは始めてだ。体でリズムを取りながら、「ぼくにチャンスをください♪」と歌い始めた。
 歌はうまいとはいえなったが、一通り歌い終わるとまた、ご挨拶で締めくくり、一人ひとりのところを「お願いします」といって回り始めた。17〜8歳か。
隣のお姉さんたちもお金を渡しているので、わたしも1元渡した。彼が後の方へ行ったときに隣のお姉さんに、「よく人を騙す人たちもいるといいますが、どうでしょう?」と聞いた。すると「そういう人もいるけれど、困っていることにはたぶん間違いないでしょう。人と人は助け合わなければなりませんから」と言った。重ねて「日本ではもし、バスの中でこのように誰かが歌い始めたら恐らく運転手さんが制止すると思いますが・・・」と尋ねると、「乗客にはそれぞれ権利があり、彼の権利も認めるということだと思います」と彼女は答えた。
 その後、彼女と校門の前に着くまで40〜50分ほど話をしたが、そのまた隣の人も、同じく華科の別の学部の大学院生で姉妹だとわかった。語ってくれた個人的問題ついては胸にしまっておきたい。たとえ一瞬にせよ私はこんな人と出会うのだと思った。

章さんと5月のシンポのための非言語行動の調査票をチェックし、調査の目的や範囲の確認などをもう一度している。採用されれば、彼女に発表してもらう。発表のチャンスは中国の若い研究者に譲るべき。それに、私は3月の予定にイレギュラーがもう一つ増えて、3人分の活動量になりそうな身だ(><)。キャー。
自由時間がまもなく終る・・・。余暇として読み終えたもう一冊本のことを、明日は書きたいと思う。