ブログの功罪?

ブログはこの面白さに満ちた中国での生活の自分のための日記として、また読んでくださる方に、この中国を少しでも理解してもらえればと思って書き始めた。家族・親類・友人たちにも見てもらえて、読んでいると日々いっしょに暮らしたり、話をしたりしているような気がするというと言われる。よかった安心してもらえて。でもね、安心しすぎてかメールがぱったりと途絶える(笑)。
漱石大英図書館に籠もった理由が分かる。国費留学生である責任もさることながら、非情なる孤独を知識欲に変えてバランスをとったのだろう。メールやブログがあったら胃病にはならなかったのではないか。
 私は愚痴も言いつつ生きているけれど、ブログでは愚痴ってないように見えるらしい。確かに説明するだけ面倒だ。仕事や頼まれごとに埋もれると、余裕をなくすし、突然大きな孤独に囲まれたり、この先やりたいことがやり続けられるだろうかと不安になることもある。そして言うまでもなく、中国世界の習慣の違いや、生活の各所にある荒っぽさに、眩暈がすることもある。
 しかし、ここで自分が学びたかったことが学べるうちはそれが至福。はだかんぼうに一枚の服、一杯のワンタン、興味を引いて釘付けになる物事、移り変わる中国の町と、小さく築く人の縁。そういうものを感じられることを感謝している。