コンテスト総括

スピーチコンテストのご感想をちらほら受け取る。面白いことに日本語教師の方は概して「水準が高かった」と評され、それ以外の方は、発音やパフォーマンス、内容も今一歩という評価。それは日頃、やはり一般の学生たちの程度がどのくらいかということを知っているかどうかの違いもある。
 たとえば、発音は日本在住10年の外国人でも多くは日本人と同じにはならないので、白紙から初めて2〜3年の学生はどうしても癖などが残る。内容に関しても、どうしても歴史認識から出発し、それを小さい経験により乗り越え、「日本人は全て悪いわけではない、日本と言う国は悪い国ではないのだ」と思うレベルが実際のところだ。それ以下のもある。
 歴史問題に触れないことになっていた北京の予選会でも「私の知っている誰それさんは、いい人だ」程度の内容が多かったらしい。 
 よい大学に入ることを目的とし、日本語を学びたかったわけではない学生も多い現状。猜疑をもって暗いトンネルに押し込まれ、真面目だから、聞こえて来る日本語を懸命に学び、自分の目でも少しずつきちんと見ようとしは始めるが、まずは歴史の前提ぬきに日本をイメージできないのが、マジョリティ、三つ子の魂。親戚や知人から「どうして日本語なんか勉強するのか」と問われる学生もいる。
 また、現代日本なるものの経験が、この華中地域では圧倒的に少ない。武漢在住日本人は企業短期派遣者を含めてもやっと500人程度であり、学生が日本人と交流する機会は殆どない。図書館にも70、80年代の本がちらほらあるばかり、外文書店にも日本語の本は教科書以外に殆どない。雑誌など一冊も手に入らない。想像を絶するほどだ。政治がらみのニュース以外に日本を知るTV番組もない。インターネットも大学内では海外ネットには大変つながりにくいので、情報量、質ともにバランスが悪い。その中でなんとか日本の姿を掴もうとしているがやはり相当な困難がある。
 つまり、現実としてあるものと、理想としてあるべき姿とにはどうしても隔たりがあるということである。
 いかに日本を知ってもらうか、日本人との交流の機会を増やすか、また、考えていこうと思う。どうぞ、皆様、ご協力をお願いします。