影響を与えるということ

 2年生は先週末から第二専門が始まり土日もなくなったため、疲れている学生もいる。第二専門とは専門以外のもう一つ学位。土日朝8時から、5時半までびっしりと授業を受ける。土日に6時半起きで丸々毎週休みなしで学ぶのだ。かくの如く勉強をするのだから、たとえば専門が社会学系の学生で、英語は英検1級レベル、第二専門で日本語を勉強し、日本語2級というような学生が珍しくない。あるいは大学院をでていなければよい就職先がないと院進学をめざす。就職への武器はやはり高い資格・能力だ。
「教師とは学生に影響を与える存在だよ。」秋に北京大学の友人に言われたことを自分に言って聞かせる。だが、中国の学生に影響を与えることにどこか、ナイフで刺すような気になることがある。公務員になりたい学生の理想を聞くと給料がいいからと答える。ご両親はどのような考えだろう。社会保障制度に不安があって、子どもの少ない中国ではその子どもは両親家族少なくとも7人を養っていかねばならない、それだけで大きな負担だ。今の中国で、違う価値観をもって生きることがどれだけ大きな流れに逆らうことになるか、個人の力量にどれだけ負担をかけることになるか。
 先月末、留学希望の学生の研究計画に目を通していたとき、「日本語と日本の教育」を学んできたいという計画書の結びに「教育を通して人は知識を得、競争力を高めることができる」書いてあって手がとまった。
 努力を重ねて競争に打ち勝ってきた学生にとって、またこの社会にとっても、それは真実。ことに彼女はクラスの集まりにも殆ど出席せずに勉強していると聞く。けれども、競争に勝つことを教育の最終目的とする表現をやり過ごすことができなかった。
 13億人の中国で国費留学の枠に手が伸ばせる人は多くない。それが一切を棄て努力してきた賜物であること、また中国の抱える問題の大きさに無力感を持っていたり、差し当たって競争しか這い出す力を持たないということもあるだろう。だが、何か有効な措置をとることなしに、農村の悪循環は終わらないし、能力と幸運を持つ人が残りの12億を考えずにこの社会が変わることは難しい。
 革命時代も過ぎ、貧富の格差を埋めるのは誰か他の人の仕事そういう感覚もある。
「为中华之崛起而读书」中国のために立ち上がり学問をする――フランスや日本でも学んだ周恩来が中学生のときに言った言葉。
こんな言葉がありますね。それから、教育を受けること、人間としての教養を身に着けることとは、他者を尊重できる聡明さと社会に対して何らかの貢献ができる能力を身に着けることだと私は思っている、と話すとにっこり頷いてくれた。これはアメリカの大学町で暮らして感じたことだ。
 最後、何を選ぶかは、後姿を見送るしかない。また、大事なことは何かを成し遂げられたかどうかより、心に思いを持っていたかどうかだと思っている。
 中国哲学碩学、日本で一番使われている漢和辞書の編者でもあった恩師が、修士終了の年にくださったのが、中哲の引用でもなく「この世に美しいものを一つ加えんがためご活躍を祈る」という言葉だった。花束でも受け取る気持ちでこの言葉をいまも抱きかかえている。それにしても不勉強の女子学生によくもこのような言葉をかけてくださったものだ…(慙愧と感謝)。