狗年旺旺4

mklasohi2006-02-12

北京 天津 北京
2月3日(初六) 北京で用事を済ませ、夜は長安大劇院で京劇を見る。一番高い席は580元。私は120元の2階席を買ったが十分楽しめる席でした。380元からお茶などのサービスがついています。
ホテルに戻ると出かける前に演目などを調べてくれたフロントの人がどうでしたかと聞く。とっても良かったですというと、小さなアットホームなホテルで、従業員の老王がうまいんですよと言って呼んで、一節、振りをいれて歌ってくれる。本当にうまい!さすが北京にはこんな人がいるんだ。
 いいお声ですねぇというと、「自分は52歳だけれど文革の時代に引っかかって運が悪かった、先生について習っんだけど。運がね。今は太極拳、お客さんも太極拳をやるといいよ」と言っていた。青春時代に文革を経験した人たちには果たせなかった夢がいろいろあるだろう。こども世代への期待が大きいのもそのせいもあるだろう。

2月4日(初七) 6日に北京で用事があるため、じゃと天津に行った。天津へは北京駅から電車で1時間半。春節をお姉さんのところで過ごしている2年生のL君が迎えにきてくれる。やはりホテルは軍隊の招待所(笑)。だが、義理のお兄さんの軍隊時代の戦友がおられるとかで、なんとタダでいいという。部屋は広い広い居間、ベッドルーム、シャワールームがついていて清潔そして安全。果物なども運ばれてくる。こうした中国的システムに??だが御もてなしの心なので狐に小突かれながら?窓辺に立って外を見る。
天津名物「狗不理包子」を食べに繁華街・哈江道の本店に行く。スープの詰まったおいしい小さめ肉饅頭。字面からみると犬も相手にしない肉まんという意味にも読めるが、店の来歴を読むと、百数十年前、丁稚奉公の末、自分で肉饅頭屋を始めた主人の名前が「狗子」で、店が繁盛するや忙しくて人に構っている暇がなく「狗不理(狗さんが人に構っていられない)包子」という名前になったそうだ。中国では子供が幼くて死んでしまうので多産元気に育つ動物の名前を借りて幼名にしていたということ。さすがに美味しかったけれど、小さい肉まん10個と小さいおかずがついて一人分25元は、やや老舗ツーリスト価格。それでも大繁盛で、店主は人に構ってられないでしょうね。
 一帯は列強の旧租界で、取り壊し中、瓦礫の山。修復保存された洋館もあり、上海とも雰囲気が似ている。でも、北京や上海に比べて立ち遅れ、力に欠ける印象だ。
 ○○旅館と文字看板が残る病院、文化財に指定された銀行、レンガの壁に黄色いペンキで書かれた毛沢東語録…。丁度100年ぐらい前の天津を歩いてみるとどうだったのか。当時の地図・歴史は、http://www.explore.ne.jp/tianjin/kiso/histry.php3(日本語)で見られます。
 次の日は渤海湾を見たかったが、1時間以上かかるし、気温も下がったので、天津港はあきらめて古い家を見に行くことになった。

 2月5日(初八)
楊柳青という天津郊外までほとんど貸切状態のバスに1時間以上揺られて行く。暖房がなく、冷え切ってお腹もすいたので、レストランを探して入る。冗談で「バスで食事に来たみたいね」と言っていたら、料理が出てこず現実のものとなってしまった。L君がこのままではお兄さんに恥ずかしくて報告できないと言うので、タクシーの運転手さんに話を聞く。
「石家之博物館」清朝の地主の家で、子孫の方々は文革前に香港に逃げて、建物は国に没収、今も香港で暮らす裕福な人たちだそうだ。逃がした魚はおいしそうだが、人生にはこういう日もあるよね(笑)。

そして中国の未来へ
天津の郊外をバスに揺られていて、目にしたものは小さな川へ棄てられている大量のごみ。赤や青のビニール袋が風にはためいて風船のように飛んでいく。その川岸にはレンガの家の集落があって、春節を迎える灯篭や対聯が貼られていて皮肉な風景になっている。
1月の統計局の発表ではGDP世界5位に達したという。中国は歴史といい、先進的な知識をも吸収する優秀な人材の量といい、あっという間に日本を抜いていくことだろう。だが、人々の公共心という意味においては、はるかに遅れている部分がある。環境汚染も日本が通った苦しい轍を経験しなければ人々は結局気づくことが無いのかもしれない。ただ、世界の人口の4分の1を占める人たちのライフスタイルが地球に与える影響ははかり知れないことが一国内の心配に留まらない。
 また、北京から武漢に戻る列車の中でもちょっと憂鬱な体験をした。お向かいの2歳すぎのお嬢ちゃんを連れたお母さん、上の娘さんは19歳で北京で働いている、先ほど送ってきていたのが上の娘、「シューシュー」とこの子が呼んでいるのは夫の弟です…と親しく話してくれた。年の離れた姉妹同士のお別れ振りに心も和む思いだった。が、消灯間際、
2歳のお嬢ちゃんが、お母さんおしっこと呼ぶ。大同からの列車で会った1歳の男の赤ちゃんはお父さんのズボンにお漏らしをしてしまったが、2歳ともなるとちゃんと言えるんだと思ったとたん、やおら子供のズボンを脱がし、テーブルの下においてあったごゴミ箱の中におしっこをさせ始めたのだ。シートト。いとも自然に。そのゴミ箱は寝台の頭の近くにあるテーブルの下に戻される。そして早朝にも同じようにその中へ。
昔室内にトイレが無かった中国は部屋に瓶ようなものをおいて用を足したというから考えれば同じこと。日本の平安の昔もそうだろう。また、ところ構わずおしっこをさせる姿を見たのはこれが初めてではないが、かなり密室にちかい状態の中で枕元と思うと憂鬱になった。あのぉ、おかあさん…といっても、気まずくなるだけだろう。親切な女の人だ。
女の子がお母さんになったときに、きっと小さい時、汽車のゴミ箱におしっこをしたなんて記憶がなくなっていることを祈った。

6日雪の北京・日本大使館。知人に中を案内していただいた。