狗年旺旺3

mklasohi2006-02-11

大同
31日(初三) フランスのお姉さんのところへ飛ぶKarenさんを西単の空港バスの発着所に送って、一人大同へ向かう。大同まで6時間の汽車の旅。
 院生のWさんに北京から近いと聞いていたが、中国の「近い」は日本だったらどこまで行っているかな(笑)。誘われるままだったので、ほとんど予備知識も持たず、一人汽車にのりこんで、あっと車窓に心奪われる。北京から1時間ほど行ったところから石灰質の山々の威容が迫る。木々のまばらな茶色い大地が続く。平原、レンガの家の小さい村をいくつか過ぎて、大地がわれて所々にちいさいキャニオンができている。グランドキャニオンからモニュメントバレーまで車を飛ばしたときに通ったナバホのインディアン居留区の景色にも似ている。河も凍っている。地球の肌をみるような風景は久しぶり。
例によって車掌のお姉さんとかは、不親切な物言いですが(ああ)、風景を見ているだけで気も晴れますね。
 大同駅にはWさんと西安の大学で経済学を教えておられるお兄さんが迎えに来てくださっていた。彼女は一人っ子政策後に生まれたので、ご両親は彼女が7歳になるまで罰金を払ったそうである。政策の趣旨は理解できるが、改めて身近に聞くと、万一ご両親が罰金を払ってまで育てようとされなかったらと怖くなる。
 安くて安全な宿をとお願いしていたら、空軍の招待所を予約してもらっていた。確かに安全だわ〜(笑)。夜、北京の日系企業で働くT君が果物を差し入れしてくれた。北京の宿に比べると暖房が弱くて布団を二枚かけて寝る。
2月1日(初四) 遼代の木造建築として現存する下華厳寺の博物館に行って、北魏の都だった大同の歴史を簡単に学ぶ。山西省黄土高原の北に位置し、農耕文化と牧畜文化、漢民族少数民族の接点として1600年以上も前から栄え、今では石炭の鉱山があって「煤都(石炭の都)」の名を持つ。ここの鉱山防衛隊は有名で、今も全国各地で毎日のように起きている炭鉱事故の救助に派遣され成果をあげているそうだ。
 お昼は土地の料理・莜麦面(ヨウマイメン)の店に連れて行ってもらう。蕎麦粉のような味。小麦粉よりカロリーが低いので糖尿病の人などによいらしい。麺にしたものを人参などの野菜とお団子にして蒸したものを酢醤油で食べる。中国の食べ物への情熱と工夫にはいつも驚く。貧しさと豊かさの掛け合わせとも言っていいのかな?隣の席の夫婦が、麺料理を4つぐらい、どう見ても2人で食べきれない量注文していたが、「麺を食べる日と決めての行動」かと気にしつつ、こちらは大学芋がやめられない(笑)。
 午後は雲岡の石窟に地元のバスに乗って連れて行ってもらう。世界遺産。これも北魏の時代からの遺跡で大小合わせて45窟あり、大小仏像の数は5万を越えるそうだ。どんな情熱がこうしたものを作らせるのか…数えた人もご苦労さん。
でも、私をもっと魅了するのは大同までの地質や地形。この石窟の対面の山は石炭鉱山で、仏様たちが毎日採掘の音や、前を走る列車の音とともに観光客を迎えておられるとうのも行ってみるまで知らなかった。

雲岡石窟詳しくはこちらを。http://www.my82.com/lvyou/2006-1/2006112140449.htm
 その晩、Wさんのお宅で餃子などご馳走になった。2Kの小さなアパートだが、4人家族のあったな食卓に混ぜていただき、あったかなひと時を過ごさせてもらった。建物は古いのだが、暖房は3年前から石炭発電の余熱がパイプラインで送られるシステムとかで、今をときめくコージェネレーションの例というわけでびっくりです。
 2月2日(初五)  真っ青な青空、最低気温マイナス18度。最高でもマイナス8度で、厚いコートを襟元まで覆っても、差し込む冷気。明朝の皇太子の「宮殿の衝立」として作られた九龍壁に連れて行ってもらう。寒いのでおみやげ物やさんの石炭ストーブに当たる(笑)。宮殿自体はすでにない。魔物をよける衝立という概念と建造物が今も寒風を受けている。

 武漢では日本人は「アルペンレン」に近い発音。大同は「リーペリャル」のように聞こえた。春節で一般の商店は閉まっていて果物屋さんだけ、年始贈答のため開いている。聞いたら夏みかん一つで6元といわれたのにはびっくりした。内陸部のせいか、果物は高いとWさんが言っていたが。とにかく中国の顔は一つではない。
 ありがとうございました。優秀な研究者ご兄妹の前途に幸あれ!