「大家」

mklasohi2005-12-12

CCTV1(中央電視1チャンネル)の番組「大家」の名インタビューア曲向東氏がこの大学に来ると言うことで誘われ聴いて来た。新聞学部の院生活動センターは6時から人がすでに一杯だったということで、間際にいっても席はない。プラスチックのいすを持ってきてもらって何とか座る。周りは待つ間も惜しんで勉強している学生が大勢いる。交通渋滞のため10分以上遅れて到着。画面で見るより細身。
「大家」には中国語では二つの意味があって、一つは日本語の大家と同じ「名人・第一人者」と言った意味、もう一つは「みんな」と言う意味。立派な人々を聴衆に紹介していくと言う意味が込められているということだ。今回の訪問はその番組クルーの中にこの大学出身の若い女性スタッフがいることによって実現したらしい。
 質問の口火を切ったのは高校のとき番組が始まって以来ずっと見ているという一年生の男子。憧れの人を目の前にして興奮気味。質問が待ちきれない調子で続くが、何番目かに当たった女の人が一向に要領の得ない質問でみないらいら+苦笑気味。日本でも愚問は禁物といった雰囲気があるが、中国も同じですね。時間が限られているわけでもあるし。
 実は面白かったのは、曲向東氏と並んで壇に上がった「問題」という面白い名前の番組ディレクター、見た目も大学の先生のような知識人なので皆が問題老師と敬称をつけて質問をする。
 何がみんなを魅了したかと言うと、問題老師は小学校3年生で学校を辞めなければならず大学にはいっていないのだ。牧羊人とご自分を呼んでおられた。ひがな羊を追って暮らす生活にあるのは自由な想像の時間だったそうだ。その後、北京大学で傍聴を続け、放送学院の大学院をいきなり受験し合格し、今では中央電視台のディレクターだという、その経歴にみんな圧倒され、問題老師へ質問が集中し始め、同じく傍聴で勉強を続けていると言う女子学生は目を潤ませて質問する。お年はおそらく40代と思われる問題老師。ほとんどの人が名司会者を見に集まったのにもかかわらず、人気は彼のほうへ移ってしまった感があった。1977年に大学受験が再開された中国は、教育を受ける機会ということについて日本よりまだまだ豊富なエピソードが隠れていることだろう。
 ある学生の「老師、この番組作りをよくすること以外に何か日々思考することはありますか」という質問に対して「自分の育った中西部の教育は遅れていて、今後はこのような機会を教育後進地区で行いたいと思っている」といったことを回答された。
人の経歴と言うのは無駄がないもので、天の配剤というべきか、多くの人が何か励まされて寒い道を帰っていくようだった。