いまひとたびの・・・/最終日

mklasohi2005-11-09

ひとり人民大会堂の前に立ち、見上げて立ち尽くす。23年前、その年は日中国交正常化10周年の年にあたり、小さな日中文化交流の団体に勤めたばかりの私は、友好10周年のお祝いの行事のために大会堂に入ったのだ。何しろカウンターパートが中日友好協会であったために、屋外行事は故宮の大和殿、晩餐会は人民大会堂、ホテルは北京飯店、会長のために用意されたリムジン(紅旗)に乗り込むという、今考えると驚くべき待遇だった。故宮博物院の院長、社会科学院の院長、外交部(中国外務省)の局長、作家協会副会長といった方々にもお目にかかった。政府同士が正常化を祝う行事をしないなら民間で、という主旨の行事で働いた。
 人生の大きな選択を迫られ、1年ほどで辞めることになったときも、中国は身近な国、いつでも行けると思っていた。それが、なぜか23年間ずっと来ることができなかった。その後も、中国残留孤児等への日本語教育などどこかしら中国に関わることが私の心の核であったが、しばらく離れなければならない事情もあった。
故宮へ歩いて行く。観光などする気にならない。ただ眺めたかった。天安門に上って天安門広場を眺める。1949年10月1日、毛沢東が中国人民共和国が成立したことを宣言した場所だ。今日は靄がかかっていて遠くが見渡せない。不思議と中国は仕事で来るところ。形は変っても、日本と中国のために小さい力を使いたいという気持ちは変っていない。
  バスに乗って、天壇公園に向かう。天壇公園は皇帝たちが収穫を祈った場所。秋色いよいよ深く、同じく広大な敷地ながら故宮とは対象的に静かに整った公園内をひとり歩く。戻るべきところに戻ったという思い。
 その昔、車で友好協会の人に連れて行ってもらった瑠璃廠(リューリーチャン)に寄る。骨董や文房四宝を売る店が並ぶ町だ。わたしは高価なものには全く興味がなく(笑)、見覚えのある店に入って絵葉書などを買う。
今回の旅も終わりに近づき、前門(チェンメン)へ行く道を教えてもらう。日も暮れて、暗く曲がりくねった胡同を20分ほど歩く。ゆっくりと昔の「恋人」との再会に浸る旅だった。Will you still love me tomorrow?
夜8時ちょっと前、Tracy先生から「西駅にいるの?」とメールが来たときはまだタクシーを飛ばしている時間だった、Sorry!(笑)。