日本と中国のこと

  友人は北京大学中国国情研究センターの主任。日中関係や中国の抱える問題に関する専門家で、素人の疑問に答えてもらうには恐れ多いが、流れ上、中国に来てから自分の抱えている問題を話すことになった。それはやはり反日問題にどう対処するか、ものごいや貧しい人をどう考えたらいいのか、若者のそれらに対する無力感をどうしたらいいかということだ。
 日中関係については、この60年両国政府は真剣にこの問題を解決しようとはしてこなかったと彼は言った。日本には日本の事情と見解があり、中国には中国の国内事情と見解がある。また日中両国問題には、アメリカや台湾の問題も関係しており、大変複雑になっている。双方が言い分を主張しはじめたら、終わることのない議論が続くだけだろう。解決はありえない。私たちがまねるべきは、戦後フランスとドイツの間で行われたような移住と両国民の結婚による血縁関係、両国民の頻繁な交流であり、これまでの民間レベルの交流は十分とはいえない。人と人の交流をすすめることが日中の問題を乗り越える鍵となると。
 私自体、口切に日本が第二次世界大戦後60年も平和憲法を守って戦争をしなかったことが、平和を愛する日本人の証、また、ODE援助で中国の発展に貢献してきたことが日本の償いとなぜ思ってもらえないのかと投げかけてみたのだが、改憲の動きに中国が敏感になっていること、資金援助ということも、中国側にも「もしこの10年中国の経済発展の1つのパートナーとして、中国が日本を相手にしてこなければバブル崩壊後の日本経済はもっと惨めなものになっていただろう」という見方もあり、一方的な視点での議論は不毛であるということであった。
 それはつまり、そのような出し尽くされたカードを切りあう議論からはもはや何もうまれない、互いがいかに心から相手と協調しようと努力するかにかかっているということ。謙虚に相手を思いやり尊重することからしか始まらないということ、何かしらバイアスのかかった言論を楯にするのではなく、目の前に相手をおいて大事にしあうこと。
 日本語教育に携わるとはとりもなおさず、摩擦を解くコミュニケーション能力を身に着けてもらうことと思っているが、言葉は語るだけのものではなく、聞いて相手を理解するためのものでもある。
 この日の夜は約束していた女子学生・小五(HNです)と北京大学内で薬膳料理を食べた。広告学を専攻する魅力的な彼女、ブログの相互リンクをする約束をしたので、サイドバーにも乗っける方法を聞きました(笑)。中国語ですが、北大(ペーター)の銀杏などの写真が素敵です。→http://longlover.blogchina.com/index.html 
離婚の事実に衝撃を受けていたが、透明な感覚の彼女と話をしていて、その寂しさを忘れさせてもらった。学内を案内してくれた老師の教え子(修士)さんは来週外交官試験を受けるというし、日本語を独学し始めてたった2ヶ月、という小五のボーイフレンド君は帰り着くや半分日本語のe-mailをくれるし、さすが北京大学生。ちなみに授業はこちらと同じく朝の8時から9時まで。
新築の図書館もまわりの建物にあわせた建築スタイル。TOICEの説明会、学内歌手10傑コンクールなども晩くまでやっていた。
写真は北京大学図書館外観および内部