旅の記憶2

昨日の夜からとても涼しい。よく見るとこの大学が誇る並木道のすずかけの樹の木の葉が少し黄色くなっている。中国の三大釜戸の1つといわれる武漢の猛暑をきらってハルピンに避暑にでかけたはずなのに、帰ってきて真夏が残っていないと寂しくなる女心?は、ややこしい。
歴史問題は複雑な要素がからみあい、多くを語ることはできないが、ハルピンの731部隊の資料館は深い悲しみを感じるとともに、その展示の仕方に感動もしたので、このことは書いておきたいと思う。
 展示は淡々と事実を知らせ、資料館の日本語解説員の方の言葉も同じような事実を事実として語り、「日本人が」というのは決して、強すぎるトーンではなく、人類共通の悲しみとして語られるていることに驚きもし、目も心も開かされた気がする。
展示は研究所の建物配置、関係者の写真、拷問器具、命令書、専門用語解説、具体的実験例、終戦の逃亡路、石井所長とアメリカとの取引、関係者の告白ビデオ、日本で出された関連書物の展示等で構成され、そして最後に受難者たちの中でたった4名分の現存する写真の展示の上に「私たちのことを憶えていてください」と書かれていた。そして日本語では「実験材料」とされ、中国語では「抗戦の烈士」とされる方々の名前が陶板に彫られている。けっして一方的な反日むき出しのつくりになっていないことが、その罪深さを却って引き立たせている。
よく日本人と中国人の温度差などといわれるが、日本人にとっても戦争は悲劇であったことは間違いないが、ハルピンの学生にも言われた「でも一番かわいそうなのは死んだ人です」。侵略して行った側が、身内の犠牲にのみ思いを致して、抗って殺された側の心に冷たいのはどうなのか。反日運動自体は政治的な意味もあるが、それはそこにおいて、むごい殺され方をした3000人(中国全土ではもっと)の人の悲しみとその死に痛みを感じる人の気持ちを忖度する心はあってもいいのではないだろうか。そこに温度差が存在していることを理解してもいいのではないか。自虐でも卑下でもない丁度いいところにある相手への思いや、反省に立つことがあってもいいのではないか。
長春の町並みも、日本の残した建物群の配置に黒い野望の形骸が感じられ、ちょっと重かった。偽国務院は吉林大学白求恩病院になっているが、その地下から長春駅にかけて車で20分もかかる地下通路がつながっていると聞いた。東京と新京。他人の国で何を考えていたのか・・・美しい日本。