旅で出会った人々

mklasohi2005-08-20

神様のくれた仕事        (写真は大都会・深センの夜景)
 8月10日、桂林から夜行寝台で深センに向かった朝、キューバの若者に「这里是广州吗(ここは広州ですか)」と尋ねられた。バスケットシューズが似合う黒人の彼、日本人とわかると中国への不満を語り始めた。留学生ではなく、24歳、経営学を学び、コンテナ(船)に羽毛や洋品を積んで、深センとテキサスを行き来し、テキサスでお母さんとブティックも経営しているという。
神様が与えてくれた仕事を真面目にこなしているだけ、会社に入れば給料は額面だけだけど、ビジネスは何倍もの利益を生んでくれるよ、9年前にパイロットのお父さんを亡くし、“Mom is my life.”お母さんのために頑張っているんだ。中国人はお金のことしか考えていないクレージーなやつらばかりだ、僕のお金と体目当てに、毎日電話をかけてくる女の子もいたよ、いくら断ってもかけてくるから全くクレージーだよ。いろいろと嫌な目にあっている と、ため息をついている。
人民元の切り上げや関税問題などもあるから突風に吹かれることもあるだろう。「お母さんとあなたのためにビジネスがずっと上手くいくといいですね」と言うとにっこり笑った。武漢にいくときは電話しますよと言って降りて行った。
私は彼よりラッキーで、いい人たちに囲まれている。深センの学生(財大のL君)にもずい分と世話になった。ホテルを取ってもらい、腰痛で香港から帰ってきたときには、夜の10時のホテルにりんごを持って現われた。ちょっと出会う人々が違えばその国の印象も変わる。
日本人は日本にいる中国人に親切にしているかなぁ?

 満州鉄道
8月4日、長春から瀋陽行き「7時36分の切符」を買って安心していたら、朝の7時発だった(やってしまった)。夜の7時の掲示板に該当番号がないのを見るまで全然気づきもしなかった。ずいぶん並んでおばさんに横ハイリされながら買った切符だったんだけど・・。日本と違って異地の切符は手に入りにくく、現地でもすぐに売切れてしまうので、中国の切符入手は運も関係するのにへまをやったものだ。慌てて買いなおすと、今度は座席がない。寝台車も、一等席も全部売り切れ。切符には無常にも「無座」と書かれている。仕方なく食堂車にいき、まずい食事代一人30元×2を払った。
でも結果、座れたからほっとしたし、4時間の食堂車は長いが、よく見るとロシア人の家族グループと中国人が何人か、それが、いつの間にか、賑やかで和やかな談笑を始めた。私は主に東北師範大学のお姉さんとハルピンや長春で見てきたことなどを話したが、彼女たちは、それは過去のことじゃないですかと言っていた。大連まで行くウラジオストックの中学生の男の子が英語につまると私のところに、こんなことが言いたいんだけどとやって来る。上手な通訳ではないが、語学教師をすると相手が言いたいことを察する能力は高くなる。別れ際男の子のお母さんも挨拶に来てくれた。
60年後の夏、満鉄といわれた同じ線路の上で、日本人と中国人とロシア人が仲良く話せる平和な夜汽車に乗れたことが重い東北の旅を明るくしてくれた。

往く夏
昨日から、日本語副専攻の夏季講座(連続10日間)が始まってしまった。ブログなんて書いてる場合かだが、往ってしまう時を捉まえておきたいような気持ち。
この40日留守をした間に、「お荷物を大事にお預かりして置きます」といっていた宿舎主管の若い女性が辞めていたし、いつもタオルなどを持ってきてくれる服務員さんも転んで自宅療養中。梨の出始めた市場はいつもより閑散としていて、市場で飼われた2羽のあひるが、中学生ぐらいの羽の生え方で、横目でこちらを見ながらよたよた前を横切っていく。(よく生き延びたね)死銭や線香も売られていた。
大学スーパーの文房具のショーケースにお酒が飾られ、文房具が奥の棚に並べ替えられている。校内のケーキやさんが改装工事をしていて、秋の新装開店に備えている。(店のしつらえでなく、ケーキの味や見た目の繊細さの問題なんだけれど・・な)中国人の若い先生も秋には日本へ旅立つ。鳳凰へ一緒にいった天女のような学生も・・・。
ちょっとした、秋への変化に寂しさを感じていたら、今日は食堂に学生が沢山戻ってきた。やっぱり学校は学生で溢れかえっているほうがいい。