租界の中の日本

数年前武漢に留学されていた宋詞研究の熊猫博士とA新聞記者のTさんが揃っての武漢里帰り。わたしは来週の下見も兼ねて、昨日の午後はご一緒に武昌と漢口の古徳寺、租界をすこし歩きました。



それで見つけたのが、武漢天地からみて勝利街入口近くの煉瓦の建物。近寄って見ると「日租界軍営宿舎」と書いてありました。建物は、ヨーロッパのどこかの街にあってもおかしくない作りで、優秀歴史建築のプレートの付けられたものの一つです。通りに沿ってかなり長く続きます。


1930-40年代の地図の上ではこのあたりは日本租界。上海のように本願寺のようなお寺があるわけではありませんが、こんな内陸奥深いところに、日本人がやってきて軍営の宿舎にどれだけの上下兵士が宿をとり、靴音高くこの街を歩き回ていたのか。また。長江に面しては、列強の銀行が豪気を放っていますが、商機を感じてやはりやってきた日本の商人、商社の人、そしてその家族の姿も、この街にあったのです。
今でさえ、味噌、醤油も求めにくいかなり厳しい武漢の生活、どんなに道の果てに来た気分だったのでしょうか…。


そんなことも想像しつつ、さて、来週火曜日、2年生の授業がまず始まります。


カビの生えた食器を洗い、水の出っぱなしになる洗濯機にてこずり…
2012年、私の秋の武漢生活が始まります。