今昔物語

mklasohi2012-04-29

一日のうちに晴れと雨の忙しいお天気。連休の一日は東湖まで自転車に乗って行きたいと思いながら、夕方雨が降り始め、夜は映画を2本見ました。

一本は「城南旧事(北京の思い出)」(1982年呉貽弓監督)、もう一本は謝晋監督の「舞台姐妹(舞台の姉妹)」(1965年)。
前者は台湾の女流作家林海音が子どもの頃の住んだ北京の思い出を描いたもので、後者は姉妹の契りを結んだ越劇の旅の役者が上海に出て一人は革命的成長を遂げ、一人は劇場社長と結婚、資本主義生活の中で堕落して行く…という内容、1920年代の北京の胡同の生活と、1940年台の上海の雰囲気がわかる。
たとえばそういう画面を見ると、今の中国の生活からいえば、2-3つ時代が違うために、まるで100年ぐらい前のことを見ているような気がするのですが、後者などは60―70年程度しかたっていないのですよね。


また、画面が遠い昔に思えるように、社会全体的に豊かになったことは事実ですが、1930―40年代の上海とは違うけれど、貧富の格差とか、官と資本家とか…なんだかぐるぐる舞い戻っている気もしてめまいがしそう。

5月の日本語作文コンクールのテーマが1.「中国人がいつも大声で喋るのはなんでなのか?」、2「日中両国民が親近感を高めるための、私ならではの提言」。
1はかの加藤嘉一さんが出したお題ということで、いままでにない角度で面白いし、書きやすいだろうと学生たちに勧めてみたら、どうもどちらも書きにくいらしい。要求の1500字が長すぎるともいうが、何か咎められているようにも感じるらしいのだ。

声が大きいことが地位が高く権力のある象徴だったから、みんなそれがよい習慣だとおもっているのだ、といったことを書いてきた学生もいた。

5月の連休、外のおいしいレストランはどこも人でいっぱいだ。食器を運ぶガチャガチャいう音と、隣の人の声が大きくて聞きとれないから、大きい声をだし、また聞こえなくなるからもっと大きい声をだしと、屋上屋を重ね、銅鑼のように鳴り響く。
うんざりとも感じるし、生きている賑やかさとも感じる…。
昔も今も。