若い木の芽たちのために

mklasohi2012-03-14


昨日、中国人で初めてH氏詩賞を受賞された詩人の田原さんが当校でご講演くださった。
先週、上海の復旦大学で講演されたあと、武漢に来ますよとご連絡をいただき、ならばうちの大学でも学生たちにお話しいただけないかとお願いしたところ心よくひきうけてくださったのだ。

朝の8時の一時限目からと言うのに教室は1-3年の学生で埋まっていた。
初めて詩を書き始めた河南省の高校生の時のこと、見渡す限りの丘の上からの風景、日本語で初めて詩を書いて留学生賞に応募、受賞の知らせも間違い電話かと思ったこと、日本の詩人谷川俊太郎さんに詩を送って、3日後に先生から5冊の詩集が送られてきた時のことなどなど。ご自身が詩人であると同時に谷川俊太郎さんの訳詩者として中国に多くの谷川詩集を紹介されている。その詩のことばの翻訳の御苦労など例をあげてお話くださった。

詩に必要なものは3つ。わかりやすいこと、新しさのあること、そして謎のあること。李白の詩が優れているのは誰にでもわかることだそうだ。
今回は1年生にも隅々わかるようにと、中国語でお話しいただいた。
最初遠慮していた学生たちからも次々とかなり専門的な質問もでた。詩は大衆化へ向かうのか、小衆化へ向かうのかとか、日本は詩作の場として自由な国であるか、詩作の源は読書なのか経験なのかといったことなどなど。

中国の学生の特徴だが、優秀な学生たちは、哲学的で文学的素養が高い。日本の若者たちより、いわば文人気質があるとしばしば感じる。それは、日本の若者たちの活字離や、知的娯楽の多様性に関係しているのだろう。

田原先生自体、若い木の芽のような学生たちとの対話を楽しみにしてきてくださった。午前10時までと区切らなかったら、まだ話しは続いていただろう。


私はといえば、例えば転科してきたばかりの1年生の女子学生たちが物おじすることなく質問をしていたのも彼女たちの新しい面を垣間見ることができて嬉しかった。

それから、日本の民放が制作した先生のドキュメンタリーの一部を見せていただき、その中での先生の詩「夜桜」の朗読をカメラにおさめ、多くの方にも味わっていただきたくネットにアップロードした。放送権的におそらく問題があると思うので、もしかしたら時限付きとなるかもしれませんが、中村優子さんの朗読で詩と相まって夜桜が美しいです。

同じくH氏賞受賞式のときの言葉がいろいろと思い白い。バイリンガルで書かれる詩を「二股をかける」と表現されている。そして日本語で詩を書くということは「日本人の生きている領域に踏み込んだ感じがします」と。

私も中国語のブログを書き始めた時や、中国語で論文を初めて書いた時、同じような、何か今までいなかった領域に踏み込んだ、そう言う気がしたものだ。同じというには大変、おこがましいけれど、こっそりと共感させていただいた。

学生たちとの対話。
瑞々しい春の芽の伸び始めるころに来てくださったのも象徴的な気がする。

私は、今年はぜひ夜桜を見に行かなくては、と思った。

先生ありがとうございました。