金陵十三釵

mklasohi2011-12-19

昨日、張芸謀監督の新作「金陵十三釵」を見てきた。日本の南京進攻を背景とし、教会に逃げ込んだ女子学生と13人の南京の娼婦の物語。アメリカ人俳優が山東省の反体制盲人弁護士に会いに行くというようなことも起きなにかと話題になっている。

昨日は一年に2度夏と年末プレゼントを持って伺っている自閉症児のお宅に、荷物持ちとして新聞記者のYJ君と友人のCH君に来てもらい、「三国英雄」という店で火鍋を食べ、そのあと映画でもみようという流れになり、湖北省ディアビルの前の映画館に行くことになったのだ。折角の機会だからと顔見知りの女性デスクも一緒に見ることになった。

映画の悲惨なシーンには目も耳も覆い、それを中国の人たちと同じ劇場で一緒に見ると言うのはかなり辛い体験でもあった。
周りの席の知らない人たちからの驚嘆や譴責の声が響いてくる。

見終わって一緒に行った女性デスクが「これは過去のことですから。」と一生懸命に言ってくれた。そして「いい映画だと聞いていたが、ちっとも良くない。張芸謀の美も農民の美の程度だわ」と、私を慰めるように言ってくれる。が、、うまく言葉が返せなかった。
やはり亡くなった人たちのことを思えば胸がいっぱいだったし、一言で言う言葉がない。いろいろな角度から意見がありえ、どれにもそれぞれの感情が伴うだろう。

私と言う人間の心でいうならば、やはり、当時、逃げまどい、殺されたりした人のことを思わずにはいられなかった。ことに女性たちの生死、戦争の中でのいのちの軽さ。人はなぜこんな風に死ななくてはならないのだろう。

その上で、張芸謀監督が描きたかった女子学生の未成熟の美と、南京・秦淮河の妓女たちの猥雑と職業的女性美の姿が美しいと思った。琵琶を演奏する天女的なシーンもある。
金陵十三釵はもともと『紅楼夢』に登場する 12人の美女(金陵十二釵)から。それを表すのが女子学生なのか娼婦たちなのか、輻輳する女性のイメージ。

また南京語の響きが美しく悲しい。南京語がこんなに女性的で魅力的なことばとはとは。3度の南京の体験でも、確かに南京の人たちは優しかったことを思い出した。

映画は、どこか当時の人々やその土地の人のことに思い至れるなら、それでいいのかもしれない、とも思う。増幅させるべきは憎しみではなく平和への希求。
そういえば、この映画の美術を東京の自宅近くの方が担当されている。種田陽平さんの助手の方。日本からも俳優さんが何人も出ている。


2時間半の映画を見終え、映画館の外にでると、すでに真っ暗。美術館前広場で、成人男女が楽しく社交ダンスをしていた。よくある中国の夜の風景。
この人たちが戦火の中にいなくて本当によかった。中国人の友人たちと一緒に鍋を囲み、一緒に映画を見られる時代。そういう時代に生まれて本当によかった、と思った。