幸せを呼ぶ…

mklasohi2011-12-04


幸せを呼ぶビジネスと言ってしまうとちょっと冷たいが、「幸せを呼ぶ仕事」、といえばしっくりくる、そんな気がした。
ピエロさんといた1日。

なんだかんだと経緯がありつつけっきょく通訳のお手伝いをすることになったNHK衛星放送。
武漢以外の中継がイタリアとアメリカ。そこから出てくるのはかなりシリアスな深い内容を含む対立する概念。人を幸せにする方法も、自己をあくまでも押し出す職人気質のやり方か(イタリアの靴磨きの方)、相手に合わせて力をひきだすやり方(アメリカの音楽療法士の方)か、スタジオの山の美容専門学校の生徒さんたちはやや後者の考え方の人が多いようだった。

この後半部分がやや哲学的でさえあるのでこの問題にについて振られたらどうするかな、などと考えながら武漢からの放送「出前ピエロ」のピエロさんに番組の流れを説明していた。彼の答えは残念ながら電波には乗らなかったけど次のよう。

「そうですね…僕の場合、自分がまず楽しくなることで、その幸せをお客さんに届けられる。そう考えてやっています」
思わず、はっとした。ピエロ(ホウバオシアオ)さん自身の声で語られた美しい言葉。

10月末ごろからこのお話があったとき、幼子見殺し事件にしても、大学内の出来事にしても中国式の嫌なことが続いて、疲労感を感じていた。だからどうせ中国式拝金主義の具現の一つでしかないのではないかと思っていた。


番組が終わって、パテシエさんは、武漢商工会主催の忘年会へ。
私は、前日も結婚式に参加したので欠席。パテシエさんと手を振って別れた。ピエロさんたちともと思ってとみると、着替える間もなく出てきたホウさんともう一人のピエロさんが薄い衣装のままで寒空の下手を振る。手伝いに来てくれたYJ君も冷え切ってしまったということだったから、お食事でもと誘った。

不案内な場所で、近くは汚いご飯屋さんしか並んでおらず、私たち4人は漢口の街を適当なレストランを探して20分以上歩いた。
小さい子供や、女の子がわぁピエロだぁと嬉しそうに声をかけてくる。あ、そうなんだ今私は「ピエロさんと歩いている」のだ。

ホウさんともうひとりカクさんは福建省の本社の事業拡大で武漢に10月移ってきてまだ2カ月もたっていない。南方出身の彼らにしてみたら武漢の冬はピエロ服の薄着では寒いだろう。


新しく整備された吉慶街の角っこに、やっと一軒ややましな武漢料理の店を見つけて入った。また入るなり、従業員の女の子たちに大人気。お腹をすかせて寒そうなピエロやYJ君をよそにメニューを持ってきてくれるより前に大撮影大会と相成った。ピエロを見るなりみんな嬉しそう。大人気の撮影大会。彼らも嫌がらずに記念撮影に応じている。まったく小学生みたいな武漢の女性たち。無邪気、地のまま。


2人からもとても純で真面目なオーラがでている。なんでなんだろう。お昼に出会ってから私の偏見はあっという間に雪どけ水のように溶けて行き、彼らへの関心に変わっていた。


どうして始めたんですか。「もともとは、歌手とか、芸能人とかすぐお金になるとおもって始めたんですが。やってみるとよい仕事だなと感じています」

3年前にこの会社が福建省に設立された時からの入社メンバーで、会社の各地への拡大にともない武漢に来て近隣へ出前興業にでている。ほかには四川省にも支社がある。月給は月3000元から4500元、ほぼ毎日、宅配仕事がある。近くの地域をそれぞれ受け持ち、出張もあって、その場合旅費は依頼人と折半。遠くは新疆ウイグル自治区にも行ったしチベットにも。遠くへの出張の多くはバーの開業とかで夜が遅いから疲れますけどね、と。

それじゃ、独立とか考えていますか?「いいえ、本社の社長はとてもよくしてくれるから、独立しようとか考えていないですね」 これもまた珍しい。社長も同じ23歳なのだそうだ。

兄弟は下にも3人、上にも2人いる、稲作農家。わたしは「福建省にはついこのあいだ、アモイに行って紅茶を買いましたよ、お茶の名産地ですね」などと話した。

一人っ子政策の中国で何人も兄弟がいるのはなぜ?
福建省人には出稼ぎに行く習慣があって、海外に出ている人も多いし、友達は日本に行っていま日本料理の店で修業してます。兄弟は一人増えれば罰金1万元を両親は払ったと。

次はYJ君が質問。休みのときとか、晩とか何をしているのですか?
だいたい、ネットで、外国のピエロのパフォーマンスを見たり、日本のお笑いなんかも見て、それから技の練習もします。日本のものは神経が細やかですね。


お昼に出あってからというもの、お化粧から着替えまでずっと見てきたけれどそこに漂うのは真面目さ。動きにしてもお化粧にしても、先生につくのは経済的に無理だから全部自分たちでネットで捜して学んだものだそうだ。お化粧のドーランなどは、京劇のものを使っているそうで、赤や青、緑・・・皮膚に悪くないですかと尋ねるとやっぱりよくないということだけれど、ホウさんの肌はピカピカ。洗った後の手入れがいいのでしょう。

23歳。彼女との出あいもそのピエロの服を着ていた時だそうだ。
昨年のこと、やはりバーでの出演時、残って話をしに来たのが今の彼女。電話番号を交換し、だんだんと親しくなり、彼女も今、武漢にやってきていて、彼女もまた女性ピエロをやっているのだそうだ。なんと、ご縁が深いお仕事だろう。
今の仕事が好きですよ。一生懸命やって、みんなの嬉しそうな顔をみるだけで嬉しくなるから。真剣な目が輝く。あ〜これが「仕事」と言うものだ。

私は昨年か今年CCTVのドキュメンタリーで「ピエロ宅配」の考案者の番組をみたことがあるが、経営に関しても、またピエロ担当の人が、自分の子供に恥ずかしくて、その姿に自信が持てないという状況が描かれていた。それも私の偏見を少し形作っていた要因、でも。彼は違う。きちんと芸も磨いて、人を楽しませていることの自信も持っている。
みんなそのオーラみたいなものを感じて彼のピエロが好きになる。

僕らは商業興行もやりますが、公益活動もやっているんです。
政府からの依頼で孤児院や、障害者施設に行く時は無料でやっています。企業からの依頼の場合は、お金はいただきますが、そのお金でかばんとか買って施設のみんなにプレゼントします。
あ、やっぱりこれなんだ。彼らにどことなく魅かれるものがあると感じたのはこれなんだ。ご飯を一緒に食べようかなと思ったのも、温まるものをとおもったのと、なんだかそのピュアな感じのわけが知りたかったからだ。
そういう公益活動にはもう何度も行きましたよ。武漢はまだ来て間もないのでまだですが。

もうあと1カ月半ぐらいで今年の春節がやってくる。きっと彼らは、春節に帰る家もない孤児たちに笑いを届けるために、出かけていくのだろう。なんだか今から子どもたちの笑う顔が目に浮かぶような気がした。

辛いことは何?と聞くと、理解を得られないとき、と。
人の集まるところで、お楽しみでパフォーマンスをやろうとしても、公安とか守衛さんとかに追い払われてしまうことがあって、そんなときが悲しいですね、と。うーむなるほど。

場所は吉慶街。立派なレストランに生まれ変わったと言え、夜市の賑やかな伝統のある街。様々な流しの芸人さんたちや花売りのおばさんや靴磨きのおばさんまで集まる街。レストラン内にそういう人たちが入ってくるのもここでは当たり前のことだから、しょっちゅう靴磨かないかとかが来る。流しの歌は一曲10元と柱に紙が貼ってあり、明朗会計も心がけているようだ。以前、東湖のそばで、2曲うたってもらって80元請求されたことがあったなぁ。

やっぱり吉慶街の文化がレストランの中に様々残っている。そういう雰囲気も楽しみつつ、お金を払って外に出ると、また、大学の近くでやるときは連絡しますよ、qqも入れておきますよと。夜、さっそくqqチャットに彼ら二人の番号を登録したら、ちゃんとお返事が来た。

ピエロさんたちといた一日。

Mkパテシエさんからはおいしいケーキをお土産にいただき、幸せな一日となりました。

終わりよければすべてよし。
同郷人パテシエmkさんとの合作も含めてよい経験になりました。謝謝。