ひさしぶり。老漢口

mklasohi2010-03-28

昨夕はデンマーク人フリージャーナリストElsaさんのお別れ会が古い漢口のレストランで開かれ、おそらく昨年8月以来の漢口へ出かけた。

渋滞を予測し、午後4時過ぎに出発。なのに、お店にたどり着いたのは約3時間後だった。
地下鉄ができれば30―40分でいけるはずだし、一昨年長江の下をくぐるトンネルが出来たばかりの時は、大学からタクシーで40分で行けた。
昨日は早めの清明節お墓参りの車も出ていたからともいう。夕方はタクシー運転手の交代時刻であるため捕まえることが全く困難だった。「タクシーはサービス業」という観念が育っていない場所だ。

私の好きな老漢口も行くたびに街が変容している。なぜあそこが面白いのかと言えば、列強が作った西欧風の街から、新中国成立後、外国人たちが逃げるように本国に戻り、その空き家になった洋館に、貧しい武漢の人たちや流れものが乱れ住んで、不思議な空間を作り上げていたから。

凝った造りの洋館の入り口にドラム缶を置いて煮炊きをしている人。セレナーデを語る窓辺に鉄線を渡して洗濯ものをつりさげている家。
幾層にも塗られた租界の歴史が生きていた。

今や多くの洋館は残るものは味わいをそぎ落とされ、化粧を施されるか、取り壊され新しいものが建てられている。
これも一つの武漢の歴史の流れで、その流れを止めることはできないだろう。

Elsaさんはご主人と武漢に10年。武漢の外国人女性のために、メールニュースを発行し、食事会やチャリティウォーク、河南省エイズの村の子どもたちへの援助活動などをしてこられた。彼女がご主人とデンマークに戻られることは武漢の損失だ。

お別れ会には20人ぐらいの友人の方が来ていた。その多くが中国との付き合いが長い外国人。そして、1人、エイズの村を発見し、当局からの嫌がらせにも屈しなかった武漢大学医学部のグイ先生がいらしていた。Time版にも載った方だが、一目で普通の人ではないことを感じる。中国の1950年代から時がとまったような質素な上着
車、家、贅沢な生活に奔走する今の先生たちの多くはあんな服はきていない。老いてもなお銀の狼であるような人、気骨のある方を拝見できただけでも嬉しい春の宵だった。

勝利街Cafe Brussels、マッシュルームスープがおいしかったですね。