お見舞+もりだくさん

mklasohi2009-10-07

昨日は東湖のほとりの梨園医院に学生のお見舞いに行った。クラス委員の学生と一緒。入院した学生は飛び級で大学に入った。1年生の時から、あどけなさの残る可愛い学生だった、もちろん今もそう。
班長さんから少し精神に問題をきたして入院したと聞いて、びっくり。お見舞いはOKということだったのでバスを乗り継いで2時間。晴天。木漏れ日が気持ちがいい。けれど曇りだったらやや鬱蒼とした感じだろう。ことに精神科の入院棟の設計は、班長さん曰く「元気な人が入院して気が変になりそう」。
同感。

病室には、心配して遠く山東省から駆け付けた御両親やご親戚が数名。御挨拶をして、3人で外へ。病院の庭園、そして東湖に接する小さい公園へ歩いた。1年生のときに一緒にこの近く聴涛公園で遊んだね、あのときは楽しかったと思い出しつつ。
同じ病棟には、13人の高校3年生もいるそうだ。大学受験の重圧にやはり神経を傷つけられる子もいる。無理もなかろう。競争の熾烈さに正比例して、小学生さえ、深夜12時まで宿題をするのだ。私が現代中国の子どもでも、きっと神経をすり減らしておかしくなっているだろう。
遊ぶ、食べる、寝る、ケンカする、仲良くなる、悪いことは叱られて、よくできたらほめられ、寂しがり、得意がり…多くの体験、様々な感情を経験して人は大きくなるもの。

東湖の枯れかけた蓮や、波をじっと見ていると、入院中のZ君が小舟に乗りましょうといって、船頭のおばさんと値段交渉を始めた。
すると1組の男女と中年男性が一人やってきて、この6人で、40元で行ってよと交渉。
揺れる小舟になんだかぎゅうぎゅうで乗りこむことになった。



ちゃぷちゃぷと夕方の波はやや岩絵の具の緑のような色を呈して、なめらかに光と翳を映し、船により添う。


おみまいだったのか、「今日は三人で遊びに行くこと」が決まっていたのか。
先生夕日が赤いですよ言ってくれる方向に沈みかけの赤い太陽。






同船の中年男性が面白かった。学生たちの故郷を聞き出し、奥さんと同郷だと言って、奥さんに電話をかける。あまり相手が聴いている風でもない。日本にも2年行ったことがあって、財務局で研修した、今度武当山においで、来たら全部旅行ルートをただで紹介してあげる、電話番号は…。

船を降り別れてから、2人の学生が先生あの人はペテン師ですよ、という。「僕は去年、新疆に行ったときにやられました。」入院中のz君も「あの場では電話番号を記憶させる振りをしましたが、実際電話をかけることはありません。」ええ??本当?
なるほど、同郷というのはちょっと無理やりな感じだった。「そうですよ。日本に行ったことがあるっていうのに、こんにちは一つちゃんと発音できないって変ですよ。」「そ、そうねぇ。」

あれ、でもあの船の代金、あの人どうしても受け取らなかったじゃない。
「もっと大きなお金を取るつもりだからですよ」
でも、さしあたって、払ってもらって、私たちってペテン師より上を行っちゃった感じじゃない?

鵝鳥がガァガァと小屋に戻っていく。皆さん、うまい話は気をつけましょうって。


すでに宵闇が迫りつつあった。山東省の習慣で、来客(見舞客も)を御馳走しなければならない、客がそれを断ることは失礼に当たるといわれて、Z君のご両親のお招きで、班長さん、御親戚などを含め9人で近くのレストランで夕食をとることになった。不思議な成員。

1月に亡くなったRY君のご両親との食事ほどではないが、お祝いの集まりでもないのだから、やはりどことなく、なんとなく、なんとなく、だ。赤い灯篭が目に映る。
普段とまったく変りなく見えるZ君が私にかいがいしくジュースをついでくれたりする。いつも通りのご両親の可愛い息子。
本当に何も無理をしていないのかな。1年飛び級してきたんだし、すこし時間を使って元気になってね。どうか、心の重荷を軽くして…。





夜の散歩でもしてと引きとめられたが、壊れた炊飯器と電子レンジを買って帰りたいからと、バスに乗った。

乗り換え地点で寄った武昌量販では適当なのが見つからず、店の向かいの「蘇寧電気」(中国のビックカメラとかそんなところ)はすでに閉店。仕方なく大学近くの大きなスーパーで手頃なのを買った。箱に詰めてもらい、保証書などを受け取ると閉店。電気が次々に消されていく。班長君が電子レンジを持ってくれ、私が小さい炊飯器を持ちタクシーで帰宅し、あるべき場所におさまった。

さて、その炊飯器は…
長すぎて疲れました。台所の新しい仲間の話はまた。