我愛北京

mklasohi2009-09-02


我愛北京(ウォアイペイジン)。I love Beijing.
北京はまるで昔愛した人。会えるだけで嬉しく、すっかり武漢のことなど忘れて走り出して懐に飛び込みたくなる、そんな感じ。
おそらく若い私が初めて感じた中国の気配がまだどことなく残っているからだろう。だから北京についたその晩だけでも、古い北京を感じられる所に泊まりたいと思った。
その夜泊まったのは西単の胡同にある清朝の大臣の家。宿の人に説明してもらい、名前を聞いて満州族の名前ですね、と言った。





門があって、左手に廊下を通って小さい庭、そしてまた小さい庭を囲んで大小10部屋ぐらいならんでいる。私の部屋は、炕=石のベッドの下に暖気を入れて寒い北京の冬を過ごすものと小さいシャワー室が雰囲気を壊さない形に設けてあった。そして木の箪笥と机。


窓のから月明かりで書を読んだ人、誰かを思って長き夜を過ごした人、義憤に駆られながら権力に逆らえず涙を流した人、新しい時代になって耳をそばだてながらぐっと黙って過ごした人…などなど、どんな人がこの部屋で暮らしたのかと壁や窓に問う。




外国人も何人か泊まっていて、朝ごはんはベーコンエッグにオレンジジュース、それから比較的まっとうなコーヒーもついていた。外国人女性が厨房の人に「スクランブルエッグにしてもらえないか」と掛け合っていたが通じないから、即席通訳になって伝えた。でも、なぜか目玉焼きしかできないということだった。そぉ?

ブレックファーストがついて300元程度なのでお勧めです。北京の胡同の味わいを楽しめます。故宮を挟んで東には清朝の清官紀暁嵐の故居や京劇役者梅蘭芳の家を改造したものも泊まれるようになっているようです。値段は高めのようですが。
朝起きると胡同の道にも自動車がびっしり止まっている。モータリゼーションは止められないでしょうが、私はどちらかと言うと自転車派。今回は自転車で町を走れなくて残念だった。


その夜は、宿に先について待っていてくれた北京で実習中の四年生Lgfさんと一緒に食事をして天安門にでかけた。飛行場からのタクシーの運転手さんが、「運がいい、この3日間、今年の『中国成立60周年』行事のリハーサルが見られるから行ってみるといい」としきりと運の良さを強調してくれていた。ならばと2人で食事もそこそこ天安門へ向かった。不運の運も運と書く。
9時過ぎの天安門の地下通路には警備隊、人民会堂前にはわんこ警備隊、毛沢東の額のかかる天安門正面では煌々とライトが光りTVクルーがいろいろと調整を行っていた。しばらく見て過ごす。

記念撮影をしていると、人の好さそうな叔父さまに声をかけられた。デジカメの電池が無くなったとのこと。機種が似ていたから尋ねられたようだ。これは充電式ですよと答える。
内蒙古からお母さんを連れて見物にやってきたそうだ。インテリ人のようでお話をしていて柔らかな空気がふっと流れる。
その瞬間出会って永劫に去っていく箒星のような出会い。お互いの人生の何月何日何時何分何十秒。その人たちとは上海で1時間飛行機が遅れなかったらすれ違ってもいないだろう。
人とひとは巡り合い、長く声をかわす人、それとなく出会って別れていく人、すべてが何かを教えてくれる人。巡り合えるだけでも不思議な星の運行。

リハーサルは深夜になると聞いて、次の日のある身、Lgfさんと王府井のほうまで散歩してから宿へ帰ることにした。長安街に沿って腕組みして歩く。中国は成年女性同士が仲良く腕組みをする。はじめは馴染めない習慣だったけれど、今は親愛の情と気にならなくなった。夜風も冷たかったし。


王府井についてびっくり。地下鉄が止まっている。そういえばタクシーの運転手さんがそう言っていた。止まっているタクシーを見つけて聞くと、演習のために故宮を囲む道路は全部、封鎖され、遠回りしかできず80元はかかるよという。まさか!西単なんだもの、15元もかからないはず。と、何か方法を考えることにした。

バス停に戻り、行き先を見るけれどおそらく相当遠くまで行かないと地下鉄も止まっている。Lgfさんもあれこれ思案して○○○まで行って降りようと言うことになった。
バスの中では座れたので安心して、今夜の思いがけない冒険について語りあった。まさか、こんな面倒なことになろうとはね(笑)。
ところがいつだって学生がいるからと安心して「休めの態勢」に入って成功した試しがない。いくバス停か過ぎ、Lgfさんが急にあっ、乗り過ごしましたと大声をあげる。アイヤヤー。

法華寺

何かの中国映画で見たことがある名前のバス停でポツンと降りた。ここはどこ?周りは抹香臭い雰囲気が漂う。末法の世。
Lgfさんと話をしていると、ホワイトカラー風のお兄さんが「私も家に帰りつけないから、ここでタクシーを降りたんですよ。西単なら方向がまったく逆、あちらにわたってタクシーを捕まえるべきです」とアドバイスしてくれた。親切な北京の人。

陸橋を渡ってタクシーに手を振る。何台か目でやっと捕まった。東城に住むlgfさんにこの際、私のところに泊まるといい、次にタクシーがいつ捕まるかわからないからと言ったけれど、次の日、荷物を整理して武漢に戻るからと私を先にタクシーに乗せてドアを閉めてしまった。Lgfさんのバスかタクシーが早くやってきますようにと祈った。

乗り込んだタクシー中でお経が流れている。中国式の少し明るい唱和。周りはお寺と壁に囲まれてお墓。薄気味…。「この音楽は何ですか?」と聞けば、「歌です」(きっぱり)と運転手さん。
「ええっと仏教のですよね」
「嫌ですか?」
「…」
嫌というのもなんだか悪い気がして、ご利益があることを無理やり信じるや、かなり気味悪い通奏低音バックグラウンドミュージックを聞きながらの夜の北京の街のドライブが始まった。

本来ならば15分もかからないだろう。が、行く道、進入しようとする通りにお巡りさんが立ちはだかり「交通管制」と書いた立て札が立てられ進入ができない。「路はありますか」私。「ありますよ」少数民族仏教徒北京人運転手さん。耳には明るめのお経の歌が流れる…香港映画か、ハリウッド映画にでも出演しているよう。深夜のドライブ。60周年、中国おめでとう。


「タクシーに乗れただけでもあんたは幸運ですよ」運転手さんが沿道で手をあげる人たちを横目でみながら言った。そうだろう。帰宅の足を求めてたくさんの人が手を挙げている。
一夜しかいられぬ中心地での夜のため、回るはずのない道を何かが導いてくれたのだろう。運がいいことと運が悪いことは紙一重なのだ。命さえあるならば見方を変えれば小さな幸運が見えてくる。

横を向いて街の景色をながめる。

                 


たどりついたのは11時半だった。
タクシー代は30元程度。Lgfさんの携帯にメールを送ってみると彼女はまだあの場所でバスを待っていた。「夜景を楽しんでいますよ」と私に気を使って明るく返事。ひっぱってでも乗せるんだったなぁと思いながら、その夜は彼女が無事東城の寮にたどり着くまでメールの返事を待った