本当の知識人

mklasohi2009-05-10

五一の休みにはいつもなかなか 濃い体験が起こるものだ。人と人がどこで出会うかも、そしてそこから何を感じ取ったり学びとったりするかも、小さい惑星同士の衝突のかけらみたいなものだ、パリッとぶつかってぱらぱらっと手の中に残る。

漢口の中国人の友人から、「休みに母のところに行くけど来ない?」と誘ってもらっていた。漢口も中山公園の近く、武漢の目抜き通りで大きなデパートも商店も軒を並べ、古いアパートがその裏にある。SAKURAさんのケーキを買ってもっていくと80歳になるお母様と一番上のお姉様が迎えてくださった。


おいしいお茶と緑豆糕などを出していただき、ふとお母様を見る。5分もしないうちに、あ、…とわかってくる。こんな人こそ本当の中国の知識人だ。一言二言しかお話されていないが、それがそうとわかるのは、中国語で言う「気質」衿持を保たれているからだろう。
「お母様は出版社の編集者でしたか」そう聞くと「え、なぜわかりますか。○○あなた話したの?」と友人に尋ねられた。

古いアパートの門には「湖北人民出版社」の看板があり、ここはその関係者がすむ住宅、何も話されることがなくとも、お母様の風格をみればそれがわかるのだ。湖北人民出版社といえば党の政治工作・理論の本もそうだが、「聞一多全集」なども手掛けている。どんな本を出版されてきたのですかと伺うと「理論書籍です。たとえば哲学とか政治、文学など」と。

中国の知識人としての骨格が80歳を越えてもこちらにも伝わってくる。「本当の知識分子に久し振りにお目にかかりました」というと、「大学にいらっしゃるのだから、いくらでも会われるでしょう?」と切り返された。
じつは今の大学の中ではこういう方にはお目にかからないのだ。最近の中国の大学の先生と言えば、どこかのビジネスマンとそう変りないような、科研費を稼ぎ、増えてきたお給料の使い方を考え、マンションをいくつか買って、車は…という物質主義的匂いを漂わす人が多く、このような私が80年代に中国で初めてお目にかかった社会科学院の院長先生のような、清貧にも甘んじる学問の深さ、沈黙の中にある洞察力、そのような厳しさを感じさせる人はそういないものだ。
私はお母様をつくづく惚れぼれと眺めいってしまった。

今日の一枚目の写真は山西省の大商人であったご一家のご姉妹の結婚式。10代のときのお母様は一番左。勿論今の姿とは想像もつかないが、このあと四川省で勉強をし、武漢の大手出版社で編集者として明晰な頭脳を使ってこられたようだ。

お昼はご家族一緒で近くの四川省料理のお店で御馳走になり、その後、母上、3姉妹と一緒に午後を遅くまでいろんなお話をして過ごした。

美人三姉妹。友人の一番上のお姉さんの娘さんはワシントンで働き、2番のお姉さんの息子さんはフランス留学から戻って今広州で働いている。友人の娘さんは香港の大学に留学中だ。
子どもを海外に送るような人たちは、子どもに将来頼ろうという気はない。多くの老後は子供たよりの農村の家庭とは違っている。
「本当の日本人(?)」の話が聞きたいとお姉さんからの質問もやむことがなかった。お母様はじっと黙って聞かれ、ときたま「今のはわからなかったけど」とチェックを入れられる。
食後は香港フェアにでも買い物に行こうかと言っていた午後だったが、私は新しい靴を手に入れることはなかったが、たくさんお話をして、お母さまから「今度は泊りがけでいらっしゃい」と言っていただいた。

富貴不能淫(財産や地位に惑わされない)。財産とは金銭をのみ指すものではない。こんな風に年をとれたらと思う本当の知識人に巡りあう、なかなか深い体験だった。


夜は友人と少し租界のあたりを散歩をした。新しい観光スポットのことなどはまた改めて。