騒がしくて、静かな夜

昨年からずっと外事処の行事に顔を出していなかったので、今夜の独唱会には行くことにした。
4時間の授業を終え、夕食をとり、集合10分前に向かった。

外国人の先生たちが4-5人、待っていた。「昨日の晩はうるさかったわねぇ。気がついた?」と尋ねられた。
確かに昨晩12時を過ぎて外で騒いでいる声が聞こえ、それに向かってアメリカ人の先生たちがどなっているのも聞こえた。が、私はと言えば、ここ20日以上の騒音、水漏れ、塗料の匂いの中で暮らしているから、もう仕方なく闇雲に集中力が高まってしまい、外の物音があまり聞こえない。改装工事の職人さんたちの喧嘩だったらしい。ウルサイ!とアメリカ若者先生はりんごを投げたらしい。(というのもどうなのか)
そんなことをしゃべりつつ待つこと15分。さし向けの車がなかなか来ない。中国語ができる私が代表して外事処の先生に電話することになった。
あれぇコンサートは明日じゃありませんか。「いいえ。」じゃ、悪いんですけど、皆さんで3号楼まで歩いてチケットを取りに来てください。その間に車を用意しておきますから。
わ、わ、わ開演は7時半、すでに7時近い。
ここからして、私の引率仕事が始まっていた。「皆さんそんな訳で外事処の方へ向かいましょう。」歩きつつ、ややこしい頼まれ電話もかかってくるし、なんだか騒がしい夜だこと。

3号楼では外事処の担当の先生がチケットを持って降りてきた。「ごめんなさい。すっかり勘違いしていました。仕事がまだ抜けられないし、車もすぐには手配できなかったので、皆さんでタクシーで行っていただきたいんですが…。」と。

Oh、OK!って引率していただけるはずの私が引率するってわけですよね。

バタバタと西へ東へ通う日々、今日もまた4時間の授業を終え、こんな緑の美しい日、美しい歌声に心静かに夕べを過ごすのは悪くないと申し込んだというのになぁ…。

私の運命ってなんかこうなのか。タクシーに乗り込んで、運転手さんの隣に座る。タクシー代を立て替えるのも私。見ると女性の運転手さん。
「はぁ?武漢音楽学院編鐘ホール、わかんないよ。」と面倒くさそう。


車の多い時間帯、運転手さんしきりと携帯で場所を確認したりしている。危ないようぉ、横から車がくるじゃありませんか。
「いつも正門でお客さんを下ろすだけだからさぁ」(武漢語)。
「外国人の教師たちですから正門で下されても、私たちはホールに行きつけません。もう開演時間も過ぎているし…。」抗戦する。
悪い人じゃなさそうだけど、「麻煩(マーファン)」メンドクサイとか、門番がきっと入れてくれないとかいろいろ駄々をこねる。音楽会の日なのだから入れてくれないわけがないですよとまたもやなだめる。私の静かなはずの音楽会の夜は刻々と過ぎていく。



ふと、女性がこの時間運転していることに興味をもって、「運転手さん遅番なんですか」と聞いた。朝の4時に上がるのだそうだ。「一晩の稼ぎは100元にしかならないけどさ。」   昼間は男の人がやって、自分はやらせてもらえないのだそうだ。

何だかその人の仕事がちょっと見えてきた。


そして私はなんだかんだと言いつつ、運転手さんたちと話をするのが嫌いじゃないらしい。地元の人の声を聞いて、そのひとの暮らしが感じることが好き。


「じゃぁ、眠くなることもあるでしょう。そしたらどうするのですか?ラジオをかけたり、歌を歌ったり?」
うんん、昼間ちゃんと眠れていれば眠くなることはないよ。でも、どうしても眠くなったら「娯楽場」の前に行って客待ちで並ぶの。大洋デパートのところのカラオケとかさ、客待ちをしながら少し休むの。深夜、車を走らせるのは好きですよ。もう13年乗ってるから。
「でも夜の運転は危ないから、気をつけてくださいね。」「うん、ありがと。」


地球の同じ時間に誰かも生きていて、働らき、笑い、怒り、喜び、あるときは悲しむ。そんな風に誰かが生きていること感じるのが好き。
この人は次の朝4時まで、武昌の街を車を走らせるのだ。



着いたのはすでに8時近かった。1階の前のドアから入るように受付で言われ小走りでいくと、閉まっていた。いかんせんと戸惑っていると、楽屋からお年を召した女性が現れ、英語でこの曲が終わるまでお待ちくださいと私たちに言った。

今夜のソプラノ教授はこの方のお弟子さんなのだということだった。「外国人を招待したのも私です」と。すでに曲は4-5曲目。終わるのを待ちながら話をする。どうして早く来なかったのかと叱られた。「私たちは時間どおりに集まったんですけどね…」


指定のはずが一階の席はすでに埋まっており、老先生と司会のテノールの方が私たちを2階の席へ連れて行ってくださって、そして座っている若い学生を「あなたチケットもっていないでしょう」と言ってどかして私たちを座らせた。


中国の声楽家と舞踏家のレベルはかなり高い。ハリのあるソプラノはよく伸びて美しかった。が、着いたのもの遅く、あっという間のフィナーレ。

幕間もいっしょに行ったパキスタン人のドクターの人のパーソナルクエスチョンを含め、かなりマシンガンクエスチョン…。知的好奇心の強い人でマスターはイギリスで3つ、彼のお父さんはイギリスで大学の先生をしているそうだ。幕間すぎましたよ。


終わってアメリカ人の先生が独唱者と写真を撮りたいと舞台に上がった。私は中国人とそう変りなくて絵にならないだろうと遠慮して、舞台の端っこで写真に撮っていたら、老先生が「あなたもお入りなさいよ」と、誘いにこられた。こういう方はたくさんのお弟子さんに心を配って育ててこられたのだろうな、と想像しつつ何枚か写真におさまった。独唱者の花束から百合の花のいい香りが漂ってくる。老女先生とちょっぴり太目のソプラノ教授。


帰りつくまでが遠足。来た道と違う道を通って、宿舎まで戻ってきた。帰りのタクシーの運転手さんも漢口出身の気のよいお兄さんで「龍王廟なんかも行ってみると面白いよ」などと教えてくれた。私たちを下ろしたら、お客を探しながら、橋を渡って漢口の方へ帰っていくつもりと言っていた。


美しい歌声に静かに酔いしれるはずの夜だったが、仕事疲れもあったしやや疲れた。
けれども、久し振りに外へでると、会ったこともなかった人と言葉を交わすこともできる。一晩中車を走らせ疲れたら人の集まりそうな場所で時間を潰す命の使い方。その人は夜はまだ車を走らせている時間だろう。


「今度またどっかであんたに会いたいね」降りるときちょっと名残惜しそうに言ってくれた女の運転手さんの言葉が嬉しく耳に響いている。


人と触れ合ってこそ、生きている手ごたえを感じるものだ。 騒がしさもりんごの音も、メゾソプラノも。