彗星

日々様々な人と行き違うものだ。今週も会って言葉を交わしていった人たち。それは、宇宙の小さな星同士の交差にも似ている。

いつものように?論文のダウンロードに困って、博士の友達CLに紹介してもらった化学科3年のC君にお願いした。彼はそのCLの「店子」である。彼女が深せんに戻っている間、部屋を貸している。(CLは深せんの某大学に職をみつけ、年収15万元だそうだ。武漢平均月収の10倍ぐらい。驚異に値する)


「どうしてダウンロードできないんですか?」という質問から始まり、彼が「人の命ってなにかってずっと考えているんです」と切り出した。
え?
大学に入る直前、母が事故で亡くなったんです・・・。

チャットを使っての会話は深夜に及んだ。


車と列車の衝突。
西部へ向かう旅行で12人が亡くなって、17人がけがを負った。お母さんは高校の先生。先生たちの楽しい慰安旅行。お父さんは大学の先生。幸せな親子3人の暮らしが暗転した。


文学、歴史、科学・・・を読みあさり、答えを探すけれど見つからない。老子曰く「天地不仁 以万物為芻狗」天地は不仁、万物を以て芻狗と為す(犬や鳥のように扱う)と。

悲しみと怒り。

学生寮の共同生活ではアメリカ留学の勉強に集中できないから、博士の広い寮をまた借りしたということだったが、一人暮らしの灯りの下では、勉強も進むだろうが、深い底で苦しく思考する日もあるだろう。

命は続いていく。バトンを持って走り続けるしかない。良く走り、よく考える。歩いてもいいし、ただ使命があれば、それを見つけて果たす。
元気で楽しくすごせればそれだけでいいけれど。




昨年、村上春樹の翻訳者である林少華先生のブログに先生がお母様を失くされ、しばらくしてから書かれた日記を思い出した。 


…母が逝ってしまった。逝ってから何ヶ月かたった。

母は多くのものを一緒に持って行ってしまった。世界で一番純粋なものとか、深い愛とか、

あの、「子どもの私」を呼ぶ声とか、わたしが「おかあさん」と呼ぶ機会とか、
世界の全てさえ持って行ってしまった…                         (mk訳)




ベストセラーを生む大先生だってこうなんだもの。



ゆきすぎる彗星たちの小さな心の声に耳を傾ける。
  先輩として。