喧しきは

学生が「日中友好の架け橋となりたい」というけれど、架け橋って言うのはあちらからも踏まれこちらからも踏まれること。待つことも必要で、心がぶれなければいつか何か通すことができる。
疲れたときは中国式マッサージかな(ふふ)。
近くの大学で教えている章さんたちがお昼に来てごはんを食べながら新しい日本語教科書について質問を受け語り合った。メタ認知ストラテジーって何、中国語で何と言うかとか、そんな礫も飛んでくる。中国語でわからない時は、英語に直してネットで、中国語の論文検索するとなんとかなる。「元認知策略」でした、やれやれ。

中国語は術語が固定していないことも多い。春の到来の到来は動詞か名詞かなど品詞分類さえも、100年も議論されている。薄緑色の森と同じくらい、様ざまな鳥が鳴き、花が咲く言葉の森。

先日日本のドラマを1話、擬声語の使用と中国語訳字幕に注目しながら見たが、(誤訳があることは指摘するまでもないが)、やはり文末表現使用が中国語にくらべ豊富で、日本語というのはずいぶん微妙な終助詞やフィラーをもっているとつくづく思う。

「わぁ、逆転勝ちですか」と言って、日本人なら発話者がそのチームをひいきしているかどうかがわかる。へぇ、逆転勝ちですか、ああ、逆転勝ちですか、ふーん、逆転勝ちですか、え〜逆転勝ちですか…の違いを考えればわかる。そこに、え〜逆転勝ちなのぉ、お、逆転勝ちなのか、あれ〜逆転勝ちじゃん…終助詞が加わる。



今夜は地球一斉1時間ライトダウンデ―で、武漢のケンタッキーや5つ星ホテルなども参加、キャンパスでも呼びかけがあった一方で、チベット50周年番組を見せないアメリカの陰謀だという噂も流れた。あらららら。

喧しきは打ちやりて…さても雨が止んで、一段と鮮やかな緑なりけり…。