平凡好人

映画監督の謝晋監督が亡くなったそうです。享年85歳。
追悼のつもりで監督の「牧馬人」を見ながら書いています。また、以前、この謝晋監督のことをブログに書いたことがありますのでよかったらご覧ください。「謝晋と幾米」
今日は疲れて仕事もはかどらないので、久しぶり開背(中国伝統マッサージ)に行ってきた。お店に入ると初めて見る人、大丈夫かなぁと思うと、ここは今週から勤め始めたけれど、漢口や武昌でもすでに6年やってきたと聞き安心して横になる。
お話好きで、日本の漫画はいろいろ見たとか、キムタクが好きだとか話してくれる。それでふと、おととい読んだ新聞の記事のことを思い出して聞きたくなった。
記事の見出しは「平凡好人李双喜(平凡な好い人李双喜さん)」。
15日の夜のこと、漢口の北湖の夜市で,ある露天商から泥棒がジャケットを盗み、追っかけようとした店の女将さんの首を押さえて殴った。それに気がついた隣の露天商の李双喜さんが助けに駆けつけたところ、人ごみに逃げ、仲間の一人がナイフを取り出し、李さんの首などを刺した。血まみれになって倒れた李さんは間もなく亡くなった。
李さんは人助けを色々としてきた人。今年の大雪の時も、見知らぬおじいさんの背負うお米を持って家まで送り届け、大雨の日、滑って倒れたオートバイの女性を助け起こして、オートバイを押して修理店まで連れて行ってあげ、村の2人の子どもが学校に上がるとき、街への交通費を出してやったり…と、人助けの好きな人だった。
見習い記者の記事のせいか李さんの年が書いてない。が、息子を失って嘆くお母さんが63歳とあるので40歳前後だったろう。
この記事を読んだとき、このことが読者に教えるものは何だろう、誰かに聞いてみたいと思った。だからこの武昌なまりのお姉さんに聞いてみた。
「うーん。1着のジャケットのためにもったいないこと。そんなことなら渡しちゃえばよかったのにね。命に比べればジャケットの一枚ぐらい安いもんだ。けど、きっと、その人の寿命だったんだよ。そこで命が尽きたってこと」そしてその後、「隣の店の女将さん美人だったのかも」などと独り言のようにいろいろ言っていた。「そう。あなたの解釈は寿命だってことね…」
人助けなんてするものじゃない、って言わなかったから、なんだかホッとした。人生の最後にも人助けして亡くなった人生は何よりその人らしかったのだろう。自分らしい生き方にはその人らしい死に方が似合っている。誰かの犠牲になる人を「英雄」と書きたてることが多い中国の新聞のなかで「平凡好い人」と形容されているのもなんだか印象的だった。

では、「牧馬人」に専念します。今夜は夜更かし。