mklasohi2008-07-30

3日目のハノイは、ホーチミンの眠る記念館(廟)やホーチミンの故居などを見学した。中国の天安門広場にあたるその広場には熱心に朝の運動をする市民たちがいっぱい。傍には外交部や中国大使館などがある。
廟に入るには厳重な安全チェックと服装のチェックもある。袖なしや短パンでは入れない。冷房の効いた不思議に狭い空間で4人の警備兵が棺を今でも直立不動で守っている。
故居は一生独身で過ごし人民のために尽くした人の家らしく、建物はフランス風ながら、質素なベッド、2-3菜のおかずの載った食卓、物の少ない書斎(なぜか日本人形が棚にある)と簡素な暮らしだった。あれがほしい、これもと思う凡下の心は痛む。
研修会後の越南旅行だったので、20人ほどの中国人の先生と行動したがが、章さんの学校からG先生という30代の先生も参加で、帰りの汽車も一緒だったので楽しかった。また今回の研修会は交通費、宿泊費は自費であるものの、いつもなら400元はかかる参加費は「外語教学与研究出版社」という有名な語学、教育の出版社もちで、そのため支社の社長とカメラマンの方も旅の仲間だった。他社の例だが「標準日本語」のような当たりがでると、発行部数1000万でビルが建つ中国だから、日頃の感謝とご愛顧をということらしい。
このx社長が印象的な人だった。ツアーのお食事はベトナム風さっぱり中華料理でほどんどメニューが同じで、中国の人たちにとっては、おなかがすくようだったし、さすがに連日同じでは私も飽きたが、「足りないぶんはスープで埋めよう」などといってスープかけご飯を掻きこんで愚痴をこぼすことがない。始皇帝の被る冕ではないが、上に立つ人は細かいことを見すぎない器が必要ということなのだろう。きっと、この会社はまだまだ伸びるだろう。そんなことを思った。

 ガイドさんのベトナム訛り中国語もすっかり耳に残った。ベトナムには4つ細長い(苗条)ものがある。1、国土 2.建物3.女の人4.道ということ。本当でした。いくつかのベトナム語も教えてもらった。
博物館の休憩ラウンジで別の男性ガイドさんと話したが、中国語は独学で、大学の中文系に通う友達から少し教えてもらったのだと言っていた。ハングリーな人たちだ。 
別のグループのガイドさんはかなりいい加減な人だったとかで、あれもこれもと不満を積み上げる先生もいたが、わたしはベトナム良かったですよ。高速道路があれば、自慢ってこともないでしょう。中国の80年代ぐらいと言われてもいるが、人はよその国に行ってわが身を振り返ってみるもの。             
同学にも会えたし、なぜか風が吹いていけたこと自体「感恩(ガムオン)」(ベトナム語で「感謝」)だった。