潤物細無声

mklasohi2008-07-02

やりきれない真夏の暑さから一転、急に雨が降り出した。
「物を潤して細かく声なし。」杜甫の春の雨を詠んだ詩の一節だが、静かに雨が地面を潤していくよう静かに教えなどが広まっていくというような意味で今使われている。実はQQなどで使っている私のハンドルネームの「美雨」は自分の冬の名前を春に置き換えて草木を育てるという意味を込め、かつこの詩のイメージからつけた。
武漢の夏の名物詩といえば、おなかを出したおじさん。上半身すっかり裸の人と、ポロシャツなどをたくし上げおなかを出した人の2通りいる。中国語だと「赤膊」。
昨日も漢口でこの肌脱ぎのおじさんを何人も見かけたが、2日朝刊に「赤膊」は「非文明」(お行儀が悪い)だから長江岸沿いの江灘公園では無料のTシャツが配られたとある。Tシャツの後ろには「做文明武漢人(マナーのある武漢人になろう)」書かれている。あはは。
以前、肌脱ぎおじさんを公園に入れまいとして小競り合いになったこともあるらしい。Tシャツを用意することによって、「潤物細無声」のマナーを広げていこうと書いてある。いつになったら肌脱ぎが無くなるか知らないが、オリンピックを前に信号を守ろうとか、こんな雨が武漢の熱い土の上にも降ってくる。
蛇足ながら、私はこの詩の前の句、「風に従って夜潜入す」が好き。雨が降ってくる前の湿った風、雨が始まる前のやるせなさに似た、どうしようもなく自然の中にいる自分に気づくあの感覚が好き。
雨がやんで、わっと蒸し暑くなった。夜は武漢大学のほうへ行ってきた。深い深い感謝の気持ちを湿気を帯びた夜の町を歩きながら感ぜずにいられなかった。