天籟(てんらい)ホテル

mklasohi2007-10-03

思いもかけない天籟(自然の)ホテルに泊まってきた。
10日前のこと、久しぶりに武漢大学日本語科卒業生のK君から携帯にメールをもらった。彼は、2年前武大の先生方と黄山に登った仲間だ。1年ぐらい会ってないので国慶節にはご飯でも食べに行きましょうということだった。OKと返事を出した。
「どこで」と聞くと「木蘭草原」に行きたいと返事が来た。木蘭はディズニー映画「ムーラン」の主人公の出身地という説もある。夜、篝火を焚く催しもありますよとのことだったので、2日の夜から行くことになった。メンバーはK君の親友S君、とその彼女Cさん。S君もすでに何回かあったことがあるが、名前が似ているので曹操君などと勝手に呼んでいる。
3時の武漢港の待ち合わせに間に合わせるため、大学正門前からタクシーに乗ると「渋滞しているから他の道をいくよ」と回り道を宣言された。あんまりな路を行くのでちょっと文句を言ったけれど、連休で人が遊びに行く時、働いている人なんだから仕方がないかと、結局回り道でかかった10元多く支払った。おじさんも自身もちょっと悪いと思ったようで3元まけてくれた。やれやれ。
 武漢港のバス発着所に皆揃ってからも、どこから何時に出るかが分からない。K君がネットでも調べて、今回は計画万端してくれることになっていたが、何の表示もないので分かりようがない。そこから中継地・黄陂(ホワンピー)まで1時間半もかからないということだったが、結局「これは何待ち状態ですか」も含めて2時間待って、黄陂行きのバスに乗った(苦笑)。
暮れかかる黄陂のバスターミナル。近くでは食事もできそうだし、安く泊まれるところもありそうなので、今夜はここかと思いきや、K君は草原風景区の夜の出し物を見に行きたいようだ。その後の宿泊場所がやや心配だったが、折角なのでお望みは叶えてあげたい。
 風景区まで16キロと表示があるので、バスかタクシーを捜そうとしたがどこにも見当たらない。ターミナルの前には、タクシー代わりのバイクと幌つきの輪タクが沢山集まっていて、尋ねるや否やバイクのお兄ちゃんたちがハイエナの如く(失礼)集まってきて取り囲む。20元で送っていくから後ろに乗りなと、激しく付きまとわれたが、危ないし、しがみついて乗るのだけはありえないもん。
なんとか振り切って、白タクワゴンのおじさんと交渉。16キロの道のりを40元は高いが、往復しなきゃならないんだからというおじさんの言い分もちょっと分かる。それにしても、タクシーと循環バスがなく、バイクと輪タクが幅を利かせている町が存在しているのだ。
 暗い道を風景区に着く。曹操君が白タクおじさんにソフトに聞きだしてくれていたので、門の前の店で晩御飯を食べた。がらんとした店の中、3匹の黒い子犬たちがお客さんに残り物をねだっている。実はもう相当もらった後のようで、お腹の膨らんでいる仔は豚の脂身をもて遊んで寝てしまった。
 夜の演芸会が既に始まっていた。モンゴル・パオを模した舞台で、馬頭琴の演奏や、モンゴルの草原の踊りをダンサーの人たちが踊る。

夜気に草の香りが漂う。篝火を囲んでお客さんたちも一緒にひとしきり踊りまわる。実はK君はモンゴル族、ふるさとの訛り懐かしで、舞台が終わってから、ダンサーの人たちにモンゴル語で話かけにいった。内蒙古の南の方から来ている一団だそうだ。
 問題は宿の確保。武漢港でバスを待つ間に、今日は牛を枕に寝るのかな?などと冗談を言っていたが、まさか「天籟のホテル」に泊まることになるとは思わなかった。

篝火も消えてから、S君k君が代わる代わるホテルを聞いてくれると一部屋280元だという。そのうち「××」だと4人で80元だと聞こえてきた。私はなぜか「パオ」を想像し、それでも良いよと返事をしてしまった。彼らが社会人1年生になったとはいえ、280元は大金だから。
 係りのお兄さんが真っ暗な草の上を案内してくれると、あら、テントが見えてきた。「張篷(テント)
なら」といってたのだ。お任せ状態でいるとちゃんと聞いていない。
 私は曹操君の彼女Cさんと2人で一つのテントに寝ることになった。自己紹介をした程度だったが、2人っきりになると彼女もいろいろと話かけてくれる。
 コミュニケーション能力というのは、まさしく人と話そうとするところに生まれるものだ。控えめで一見目立たない人だが、曹操君の一つ下の武漢大学新聞学科の学生で、さすがマスコミ志望と言うのか、バスに乗ったときから彼女の中国語の発音の美しさには気がついていた。が、真っ暗なテントで聞く、Cさんの発音と話はまるで「天女散花」のようだ。
「天人合一って言葉はご存知ですか」「それから天籟の音という言葉がありますが、天籟とは自然の音のことですね」。わたしも「天籟」という言葉は知っていたが、その言葉を実感するのは初めてだった。Cさんの美しい声、中国古典文学に出てくる神女のような優美な言葉と響き。…「Cさんの声も鳥の声、虫の音、風の音と同じく天籟の音の一つですよ」と眠くなるまで2人で話しあった。
 明けてから小高い所に登るとk君が草原を見るとどうしても歌いたくなります、といってモンゴル語での「長唱」をしてくれた。遠くまで声が響いていく。小学校3年生のときまで、踊りの練習団にいたそうで、大鷹のポーズなど踊りのポーズも見せてくれた。
民族の文化というものは人の体の血液の中に流れるものなのだろう。私も五木の子守唄などを歌ってみたが、彼らの天籟の声には敵わなかった。
 夜、家に戻ると、今日は付き合ってくださってありがとう、準備不足で大変申し訳なく感じています、と折り目正しいメールが来た。
ハイエナ的バイクたちの唸りも、曹操君の優しさも、聡明なCさんも、K君の中にあるモンゴルを感じることも、…目に、耳に焼きつくよい思い出になった。