流れる水

涼しい一日だった。本はもう買わずにいたいと書いた矢先に、本屋に寄って「言語コミュニケーション概論」、「社会言語学概論」、「現代日本語語法」の3冊を買ってしまった。内2冊が今年出されたものだからだ。3冊買って50元しないのが嬉しい(750円ぐらい?)。あぁ自己矛盾と感じつつ抱えて部屋に戻る。

 濁った水は汚染のあかし。長江。なのにあの川がすきなのは、その色に人の苦しみや矛盾を受け入られる度量を感じてしまうからだ。清いだけが全てではないこの世界。人や自分自身を受け入れるというのはそういうことと思う。筑豊で生まれ、いつも見て育った川が同じようなコーヒー色だったせいもある。川は流れ、とどまってはない。人も自分も成長しとどまらない、そのときそのときの過ちを問題にすべきでないことを思わせてくれる。
 蓮の葉を翻す風、新聞やTVから流れる新しい毎日。早速買った本にも目を通しつつ、中国の楽しみ方も少しずつ戻ってきたような気がする。