あらしの夜から観覧車の夜まで

ヤマリク山に当たる朝日を華僑賓館の10階の部屋から眺め、Yさんの弟さんのお迎えの車に乗ってウルムチの街を走り飛行場に送ってもらい、別れを告げ、北京へ。そして日付は変わったが深夜には東京の自宅に無事着いた。十数時間で西域から文明Nipponに戻って来られる時代。乾燥した火焔山、カシュガルトルファンが昨日の記憶。そんなことでいいのかなぁ。時間があればせめて汽車の旅をすることが正しいような気がする。
7月の30日、東京から北京に向った家族が嵐に巻き込まれた。大連で下ろされそのまま一泊となり、連絡も取れない状況を双方中国人の方に助けられ、丸一日遅れで出会え、そしてそのままカシュガルへ飛んだ。
 真夜中のカシュガル飛行場は地平線の果てまで真っ暗、飛行機は広い飛行場に一台しか停まっていなかった。さすがタクラマカン砂漠端のオアシス都市。その暗闇のなかのただっぴろさを感じるだけでも行った甲斐があった。
 カシュガルトルファンも中国人ツアーに参加したので、おみやげ物屋さんに何度も連れて行かれ、いらない絨毯や玉を見ることには飽きたが、7月30日の北京の悪天候、再び戻ったウルムチのホテルが停電し蝋燭の灯で過ごした一夜、そして最終日のホテルにカメラを置いてきてしまった(!)ことが今回の3大ハプニング。
 お世話になったYさんZさんご夫妻にまたもやお世話になってカメラを武漢に郵送していただくことになった。そんな訳で、
 カメラに収まった中央アジアの乾燥した風景、砂漠のらくだの綿入れのような足、清真寺(イスラム寺院)、香妃のお墓、ウイグル人居住区の土の家。道端で売られるナンの山、子どもたちの笑顔。ロバの引く車。たわわの葡萄。どうぞ、そんな風景をご想像くださいませ。
 私の心には中国人の友人たちにしていただいたことがいろいろと鮮やかな宝物のようにたまった。直接お返しできるかどうかはわからないけれど、しっかり覚えておいてどこかで宝物はお返ししたい。
 高速道路から見た東京の観覧車の灯。幾百年の時の差の旅の終点で見たもの。