公平ということ

世界の片隅でも、国際政治の大舞台でも、家庭の中でも、何が公平かということは人として大切なことだと思っている、が、これが一つの回答にはならないから難しい。
 昨日用があって外出し、帰りを急ぐのでタクシーを捕まえようとした。夕方5時過ぎごろのこの時間が一番捕まえにくい。交差点に立って20分以上というのは以前も何度か経験した。ラッシュ時だから利用する人が多いせいもあるが、タクシーの運転手さんたちの交替時間が6時のため、乗車拒否をするタクシーがたくさんいるからだ。
 一番人が利用するときに交替なんて日本では考えられない。サービス至上であり、それが日本企業の繁栄を支えてきた。ところが中国では早番と遅番では収入に関わるため、この時間に交替することが運転手同士の「公平」なのだそうだ。そして一般市民もこの公平には多少なりとも、サービスに慣れた私より理解があるようだ。
 4月に武漢市交通委員会から、ナンバープレートの偶数・奇数で交替時間を17時以前と19時以後にするように、また「空車」ではなく「交替」の表示を出してお客に事前に知らせるようお達しも出たようだが、交替表示のタクシーって見たことない。
 またこの時間、仮に乗れても、交替に間に合わせるためと、まるで車の両側に触角か猫のひげでも生えているような動物的感覚で街中を切り込んでいく運転に肝を冷やすことになる。追い越し禁止の狭い道を恐ろしい技で追い越す運転手さんに「安全に家に帰ろうという標語もありますよね」と後ろの席から声をかけたこともあるし、飛行場から交替の場所につき合わされ、そのかわりロス分をちゃんとまけてくれたこともある。でも、黙ってOKすると払ってくれなかったろう。
 人と人は公平であるべきだが、サービスを必要とする人へのサービスを引き継ぐ形で実現できるとおそらくもっと多くの人が幸せになれるはず・・・。