一編の映画を見るような

おじさんの錫劇人生     周暁
04年の冬、おじさんが亡くなった。
子どものとき無錫市錫劇文化団がよく田舎へ上演に来た。夏の夜、田舎の人たちは自家のいすやベンチを原っぱへ運んで、錫劇を楽しんだ。通常原っぱの真ん中には小舞台が建ててあり、化粧した男女四五人が無錫文言で歌っていた。
「あれが錫劇だ」おじさんは教えてくれた。「わしは錫劇が好きだ」
 あの時、村文化管理員をしていたおじさんは50才ぐらいだった。僕のおじさんを含む何人かのおじさんとおばさんが二胡の伴奏で、聞き取りにくい歌を歌うのを親について郷里に帰った僕はよく見た。
 10才ぐらいの僕はおじさんたちお年寄りの趣味がどうしてもわからなかった。そんなまずい歌、そして大袈裟に演じる劇は好きになれなかった。暇があるとおじさんはいつも錫劇を教えたがったが、僕は言い訳をして逃げ回った。
 だんだん錫劇を演じる男女の姿は月日の流れで一人ひとり消えていった。おじさんのグループのメンバーも少なくなった。大学に入った僕は郷里に帰ったとき、白髪がでてきたおじさんは老衰したと感じた。
 狂風に立った一本の木のように気息奄々だった。
 おじさんが亡くなる前の日、ぼくは突然胸がいっぱいになった。若いときのおじさんが見えるようだった。おじさんは壁の隅で二胡を奏で、一番古典的な「真珠の塔」を歌った。
  おじさんの錫劇人生が終わった。
おじさんが好きな錫劇もこの地球からなくなっていくことは事実だ。

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これは、3年生の最後の作文試験に課した課題の一つ「芸術について」に答えた周暁君の作文だ。立派な芸術論を書いた学生もいた。他のテーマを選んで現代中国を論じたものもあった。一年半の作文授業を通じてテーマ、スタイル別の書き方、文法・表現の指導もし、主観を入れない説明文も書かせたが、全体を通じて一番大事にしたことは「あなたにしかかけないことを書け」ということ。この一編の映画を見るような美しい作品を読んで、「ありがとう」とつぶやきたくなった。
 文法的ミスは添削しています。本人の了解を得て、ここにご紹介します。