雲気を察することもなく

1年生から院生までの授業の準備をしつつ、エッセイの中に芥川龍之介の「侏儒のことば」の引用があったので原典にあたっていると、ふと手がとまった。これを読んだのは何才の時だったかな。きっとそのときはこの文章の意味が良く分からなかったと思う・・・お酒は飲めないが、働き、学び、遊びたまに人と楽しく食事でもできれば幸せな侏儒。では、仕事に戻ります!

侏儒の祈り
わたしはこの綵衣(さいい)を纏(まと)い、この筋斗(きんと)の戯を献じ、この太平を楽しんでいれば不足のない侏儒(しゅじゅ)でございます。どうかわたしの願いをおかなえ下さいまし。
 どうか一粒の米すらない程、貧乏にして下さいますな。どうか又熊掌(ゆうしょう)にさえ飽き足りる程、富裕にもして下さいますな。どうか採桑の農婦すら嫌うようにして下さいますな。どうか又後宮の麗人さえ愛するようにもして下さいますな。どうか菽麦(しゅくばく)すら弁ぜぬ程、愚昧にして下さいますな。どうか又雲気さえ察する程、聡明にもして下さいますな。
 とりわけどうか勇ましい英雄にして下さいますな。わたしは現に時とすると、攀(よ)じ難い峯の頂を窮め、越え難い海の浪を渡り――云わば不可能を可能にする夢を見ることがございます。そう云う夢を見ている時程、空恐しいことはございません。わたしは竜と闘うように、この夢と闘うのに苦しんで居ります。どうか英雄とならぬように――英雄の志を起さぬように力のないわたしをお守り下さいまし。わたしはこの春酒に酔い、この金鏤(きんる)の歌を誦し、この好日を喜んでいれば不足のない侏儒でございます。
  (芥川龍之介侏儒の言葉」より)