清潔な生活

mklasohi2007-02-20

長沙郊外の農村で過ごした春節、章さんの家の清潔で豊かな暮らしが心に沁みて帰ってきた。
江背鎮という小さな村で、武昌から長沙まで列車で3時間半、そこからまた1時間ほど車で行く。1人で行くつもりだったが、とても難しいからと車で迎えに来てくれた。なるほど、近づくに従い、想像した以上のバスも通らないでこぼこ道。雨が降ってぬかるんでいる。
バウンドを繰り返しながら、着いた家は2階だて、お風呂もバケツに汲んだお湯を使うといった質素な暮らしだが、そこにあるのは大地の恵みに囲まれた無駄のない暮らしだ。よく拭きあげられた小さい食卓、山の湧き水でいれるお茶には庭に植えられたフィンネル(ういきょう)が入っている。
 17日除夜の夜、お父さんやお姉さんのご主人は村の人とトランプ、章さん、子育てと仕事でちょっと熱のあるお姉さん、赤ちゃんの天天ちゃんと春節晩会を見た。専用の電熱器に布団を載せたコタツのようなものは湖南省でしか見かけないそうだ。
去年はA先生の妹さんの北京の都会的なマンションで春節を迎えたが、家族がいて、温かく迎えられる年越ならば同じで、また次代を担う赤ちゃんと越すのも楽しい。おいしいもを口にいれると「はお(よい)」と可愛い声で話す。私もチャーチャ(食べる)、ンノォ(はい)という長沙の方言を2つ覚えた。
零時が近づき、一斉に花火があがり始めるとTVの音はかき消されてしまう。外ではどこの家からもドンドンと花火が上がりパパパパパンと爆竹の音がする。

章さんのお父さんが、特大級の音の花火に火をつける。ドンと耳を劈く音。肩幅広く男前、大人(ダーレン)のお父さんの選択は威風堂々の大音響で、みんなで耳を塞いで笑い転げた。
頼もしいお父さん、働き者できれい好きのお母さんが作る清潔な生活。不自由や不本意をものともしない生き方。野菜や食べ物、そして娘たち・・・ご両親の作品の実りの大きさ。
新年は朝から近所の人たちが続々と拝年(新年の挨拶)に来て、わたしも章さんのお婆さんの家などに付いていった。道ですれ違う人が顔の前で両手を組んで挨拶する。「恭喜・恭喜(コンシー・コンシー)」。
 新年を言祝ぐ気持ちが新しい年を作る。
帰りは章さんとお父さんにバス停のある鎮まで送ってもらって、扉がきちんと閉まらないおんぼろバスに乗って長沙の外れまで戻った。そこへまた共通の知り合い、Yさんの彼氏Lさんが心配だからと迎えにきてくれたが、そのゴーストタウンのような終着点から市中心へ向うバスの方向を間違えて30分ほどうろうろしたのは他ならぬLさんのせい(笑)。それがまた旅の思い出になって、あちこちガタガタと揺られながら見た景色は私の冒険心を満足させてくれた。 
お母さんが持たせてくれた大根の漬物とういきょう、サツマイモのカリントウうのような手作りお菓子。列車の中で、駅前で買った茶たまごとこのかりんとうでお昼にした。
3年目の冒険。そうそう、お蔭様で昨日で武漢にきて2年になりました。