久しき思い

今の中国生活での楽しみは人との交流や、仕事上の苦労と喜びの中、旅での見聞になどの中にあるが、昔何が私を引き付けたかと言うことをちょっとだけ。
それは、中国の怪しい物語。六朝時代に書かれた「捜神記」など志怪小説集に始まる中国古典小説の世界。中でも不思議な変化(へんげ)の精たちだ。小豆が化けた人間が赤い服を着ていたり、蛇の精が青い服を着、または、豚の化けた美人を留めおきたくて、先の尖った靴を隠して置いて帰らせないようにしたら、次の朝、血の跡が点々と裏山にまで続いている、たどり行くと果たして、足先を切られた豚が洞穴にうずくまっていた。と、変化の後にそのもとの性質を残しているところがたまらなく面白かった。先の尖った美しい靴に見えたものが、一夜明けると先の割れた「豚足」でしかない。人は夢をみているときのほうが幸せだろう。いつまでも美しい靴に見とれていたい。
 中国の古典小説が日本文学に与えた影響は大きい。様々なモチーフが日本の文学の中で日本風に調理されている。その頃は「太平広記」(宋・李肪編)など原文を読んでいたが、そんな本が自分の部屋の単なる重しになって久しく久しい(笑)。
 小説とは取るに足らぬ言説、『漢書・芸文志』によれば「小説家者流、蓋出於稗官。街談巷語道聴塗説所造也」つまり市中の噂話、道端で聞きかじったことを書き記したもの程度のものであり、『論語』の中には「子は怪力乱神を語らず」とあって、知識人の読み語るものではないとされてきた。そんな訳で、史書諸子百家は解せぬ小人の私は創造力のもとになる想像性が中国古典小説の面白みと思っていた。おそらく人間からいろいろな自由が失われた時に最後に自分を楽しませてくれるのは自分の中に集められた想像力ではないかと予想しているのだけれど。
そ んなことを考えていてふと目にとまった翻訳の一編を下記にご紹介。明『七修類稿』という出典についてはよく知らないが、美しい鳥の声を巡るちょとこわいお話「画眉」。話梅子さんの訳です。   
 ただ、こんな物語がなぜか、先月読んだ武漢の新聞記事と重なって感じられる。やはり小説の一面は「街談巷語道聴塗説」だからだろう。
 その武漢の新聞記事というのは、近郊で、ある若者が仕事帰りに家の近くでキュウリを4本もいで帰宅したところ、聞きつけた隣家がそれはうちの畑のキュウリだと喧嘩になり、若者のおじいさんが孫に加勢しようと農具を持ち出して相手を殴り、逆に農具を奪われ打ち殺され、結局相手もお爺さんも死んだという事件だ。隣家も同じ陳一族。キュウリ4本のために流血の惨事が起こったというなんとも虚しい話だ。日本でも短慮と利害のために命を虚しく落とすことはないわけではないが、読んでいて古小説を読んでいるような気分になった。
 前置きが長くなりましたが、「画眉」---お時間のある方はどうぞ。


          禍をよぶ画眉
明の天順年間(1457〜1464)のことである。杭州に住む沈(しん)なにがしは一羽の画眉(がび、ほおじろのこと)を飼っていた。この画眉はたいそう声が美しく、幾度も鳴き比べで勝利をおさめていた。安徽から来た商人がこの画眉を十両の銀子で買い取ろうとしたことがあったが、沈は手放すことを承知しなかった。この話はまたたくまに杭州城中に広まり、誰一人知らぬ者はないほどであった。
 ある朝早く、沈はいつものように画眉を籠に入れて西湖のほとりへ散歩に出かけた。突然、激しい腹痛に襲われ、湖の堤にうずくまったまま動けなくなってしまった。ちょうどそこへ、顔見知りの桶職人が道具箱を担いで通りかかった。沈は桶職人の手を握って、家族を呼んで来てくれるよう頼んだ。
桶職人は道具箱を置いて沈の家へ走った。桶職人から知らせを受けた家族が急いで堤まで行くと、沈が血まみれで倒れているではないか。首は切り取られて持ち去られ、鳥籠もなくなっていた。死体のそばには蓋の開いた道具箱が置いてあり、その中に血まみれの鉈(なた)があった。
 沈の家族は桶職人を縛り上げて役所に突き出した。桶職人は手ひどい拷問を受けて、こう自白した。
「確かにあの男を殺して鳥を奪いました。鳥は売り飛ばし、切り取った首は湖に捨てました」
役所では手分けして湖をさらったが、沈の首は見つからなかった。肝心の首が見つからなければいくら自白があっても殺人の罪が立件できない。そこで、沈の首を見つけた者には懸賞金を出す、と布告した。
 それからしばらく経って、首を見つけたという漁師の兄弟が役所に現われた。「湖で漁をしていて、網にかかりました」
 首はかなり長い間水に浸かっていたと見えて、すっかり腐乱(ふらん)していた。確かに沈のものかどうか判別はつかなかったが、役所はこれを沈の首と断定した。その年の秋、桶職人は死刑の処せられた。
 数年後、杭州のある人が蘇州へ行った。一軒の家の前を通りかかると、美しい画眉の声が聞こえてきた。ふと見れば軒先に吊り下げられた鳥籠に、一羽の画眉が入っていた。声といい、姿といい、沈の画眉とよく似ている。その人が飼い主にどうやって手に入れたのかとたずねると、「杭州から来た人から買った」とのこと。
 その人は杭州に戻ると、早速、沈の家族にこのことを告げた。沈の家族が鳥を売ったという男を訪ねると、「身に覚えがない」と言い張る。そこで、沈の家族はこの男を役所に突き出した。男は厳しい取り調べを受けて、洗いざらい白状した。
 その日、湖のほとりを歩いていると、うずくまる沈を見かけた。そのそばには噂の画眉の入った籠が置いてある。男の目に桶職人の道具箱が入った。にわかに悪心を起こしたその男、道具箱の中から鉈を取り出すと、沈の首を切り落として殺した。そして、首は近くにある枯れた柳の洞(うろ)に放り込み、鳥籠を持って逃げた、と言うのである。
 ならば、漁師の兄弟が持って来たあの首は誰のものなのだろうか。役所が兄弟を召し捕り、誰の首か厳しく問い詰めたところ、あっさり白状した。「あれは親父の首です。あの騒ぎと同じ頃にちょうど死んだので、金欲しさに首を切り落として水に浸けておいたものです」
沈を殺した真犯人はもとより、漁師の兄弟も父親の死体を損壊した罪で死刑が確定した。
たった一羽の画眉が原因で五人の人間が死ぬ羽目になるとは、何と恐ろしいことだろう。

                         (明『七修類稿』)話梅子・訳