三峡クルーズ  

私はガイドブックを持っていかないし、読まないのでちんぷんかんぷんのまま旅をすることもあり、何かを見落とすこともある。宜昌から下るのだろうと思って出かけると、四川省重慶市の市街へ4〜500キロのところまで遡上し下ってくる旅だった(笑)。        
夕暮れ間近の宜昌の船着場。コーヒー色の武漢の長江と違って水が碧色。船は「雲錦」号と言う名の三ツ星客船。中国人向けでKarenさんは誰彼の目を引き、私は彼女のガイドさんと間違われた。「ガイドさん、その人何人?船は次どこでとまるんかい」この程度の英語でガイドさんにはなれません。
私たちは、2人部屋の1等船客に泊まったが、大勢で行くなら4人部屋や、6人部屋でも大丈夫だと思う。そのたびに100元ずつ安くなる。窓の外の風景はゆったりと流れる長江で、両サイドに山を見る旅は本当に精神の疲れが抜けてゆく。
 まず葛州ダムの船の通航用ドックに入る。ドックを閉め切って、水位を上げ次のドックに入るのだ。ドックの中では、幾隻もの船がひしめきあっていて、それがぶつかることなく、水位が上がって次の閘門が開くのを待つ。冬場のオフシーズンに練習を重ねるそうだ。最低水位5.5米のところから200米のところまで水の力で上がっていく。それは、社会科見学の小学生か、ディズニーランドのマークトウェイン号にでも乗って探検を始めるような気分。面白いですよ。                          
これら地元の旅行社のガイドさんの話によると(中国語なのでどこか聞き違いもある場合も有り)、葛州ダムは1970年に着工18年かけて88年竣工。ドックは3000米の山を掘削して建設されたもので、劉少奇の息子・劉元の指揮だったという。このダム建設には延べ10万人が動員された。建設の目的は1.三峡ダムのための試作品、2.人材養成のため、3.水位の調節のため、だそうだ。
深夜に越えることになる三峡ダムについても教えてもらった。1992年着工、2009年に全面貫通が予定されている。目的は1.治水、2.発電、3.輸送、4.観光の4つ。上記の経験と世界の水利学者の協力などあり動員数3万人。全投資額2039億人民元(ってどれくらい大きい額がぴんとこないけど)、とにかく莫大な額(笑)。それが発電によって2010年までに総額を回収できるという。ここで発電した電力は上海、北京、深圳のような大都市のみならず蘭州まで送られ、全国電力消費量の八分の一がまかなえるのだそうだ。
水没する町14県(県は日本でいう郡ほどの大きさ)、移住を余儀なくさせられた農民113万人。中国全土への村ごとの移住だそうで、新しい家と仕事が保障されたということ。保障金額はあえて聞かず。
祖先の土地を離れ、祖先の眠るお墓が水没することの苦しみ、いくつかの三国志文化遺産も水没する文化的損失、動植物の生息地の破壊、上流からの土砂の流失、今後の環境に与える影響など、議論の多い三峡ダムだが、こうした中国の発展への欲求は止めようがないだろうというのが正直な印象。三峡ダムの構想は遠く1919年に孫文が既に提唱、1958年に毛沢東も視察にきており、1980年李鵬首相の時代に着工され始めたそうだ。中国のリーダーが引き継いできた人民を豊かにさせるための夢の一つなのだと感じる。痛みは重々承知だろう。環境破壊しても経済発展優先、経済が豊かになれば資金を環境保護へも廻せるという理論は他でも聞く。それでは間に合わないと個人的には思うが、ダムの放水は13億人分が押し寄せる力ぐらいありそうだ。ただ、どこかで足るを知るを準備しないと欲望のままに押しては地球の身は持たない。などなど、考えつつ夜になる。
 神農渓       
明けて早朝7時には神農渓に向かう船に乗り換えた。川幅は狭くなり、両岸に迫る高い山、清く端正な水。杜甫が聞いた哀しき猿声は聞こえなかったが、日が高く上るまで、山を切り開いて進んでいく感触。船の先に立って、風を受ける気持ちよさは、桂林に勝れると私は思う。いつまでも飽きず、風を受ける。
さらに上流に行くため、木造の船に乗り換える。土家(トゥチャー)族と言われる少数民族の人たちが漕ぐ舟だ。上流60キロで神農架にたどり着く。今は半分までしかいかない。浅瀬につくとおじさんたちが船から飛び降りて、船を引き始める、これが「有名な纤夫」という人たちらしい。絵葉書では真っ裸で船を曳いている。実物はTシャツにパンツ1チョだったが、真冬でも同じ格好で水にはいって曳くのだそうだ。お仕事というものは、つらいものだなぁ。       
この日は他にも女性的と形容される巫峡、男性的と言われる瞿唐峡、10元紙幣に描かれた蛙の形の山を、かの白帝城からも眺めました。戦いの三国志は苦手でかの劉備が・・・とは浸らなかったけれど、波止場に戻ると星の瞬く時間になっていて、船中の中国人のざわめきを聞きながら、李白の詩に倣い「夕べに辞す白帝、星羅の間・・・」と詠じてみました(笑)。
神農渓への朝、Karenさんは「アラスカの旅を思い出すわぁ」と言っていたし、私は私でシアトル沖にオルカを見に行った旅を思い出していたので、なにかそういう自然の気が感じられる旅です。日頃ストレスの多い人はきっと碧の水のように静かに落ち着いてくるでしょう。行かれたことのない方は是非どうぞ。次は重慶から上海までくだってみたいな・・・。