和珅(フーシェン)

授業を終え、やや気楽な火曜の夜、「ロジックとユーモア」という講義は映画も見られて面白ですよと学生が誘ってくれたので行って来た。ロジックの部分は伝統的論理学の講義を1時間ほど、後半の鑑賞は今夜は「清朝の奸臣・和珅」についての番組だった。番組の中で講義をする北京師範大学の先生の話がユーモアに満ちているということなのだ。確かに大教室は爆笑で、立ち見の人もいた。
この人物は中国では貪婪な高官として有名で、波乱に富んだ人生を生きた人。1750年清朝乾隆帝の時代の生まれ、父親は福建副督都を勤めているが、母親は彼が2歳のとき、父親も9歳の時に亡くなってしまい、父親の第三夫人に育てられたらしい。紫禁城内の一番の学校に入学していたので、そのままそこで勉強できたことは幸いだった。他の裕福な子供にいじめられながらも、負けずに四書五経儒教の古典はもとより、漢語、蒙古語、西蔵語に通じ、また何時の日か乾隆帝にまみえる日を夢見て、乾隆帝の詩作や筆跡を研究したということだ。科挙には合格しなかったが、出自から皇帝が外出時にお供するという下級の職を得る。
 ある日、乾隆帝論語の一節を度忘れし下の句が分かるものと問われた折に、すらすらと答えたところから目に留まり、以後、皇帝の寵臣となり、26歳で軍機大臣(国防省長官)に、32歳までに言わば財政大臣、国務院副院長、外務大臣人事院院長といったありとあらゆる大臣職を歴任、その権威を使って、賄賂、脱税、合法的経営で蓄財、それは清朝の国家収入(GDP)の15年分にあたったそうだ。部屋3000、衣類7000着、金銀財宝…と史書の記載が残っている。 お気に入りの域をはるかに超えている。実はなかなかの美男子でもあったようだ。
老害を撒き散らした乾隆帝の死後、直ちに処刑されることになる彼のその後の人生は、また来週ということになった。講談みたいですね。(中国語字幕つき)劇中劇ではないが講義中講義の構造。
ところで和珅の人生にしてあげますと言われて何人ぐらいの方が手を上げますか?