疲れの理由

疲れの理由はこのところいろんな人の思いを吸収したり、自分の感情の水たまりに浸かってたせいもある。
例えば、日本へ留学する同室の仲良しを送って寂しい学生。彼女たちのブログには、「目覚ましが鳴ると思い出し、また、鳴って思い出し、起き上がって思い出し、顔を洗って思い出し、歯を磨いて思い出し、髪をときながら思い出し、服を着替えて思い出し、荷物を揃えながら思い出し、出かけようとして思い出し、鍵を持ってないことに気づいて思い出し、水を飲んで思い出し、鍵をかけながら思い出し、教室に向かおうとして思い出し・・・・」と続く。
例えば、道に迷って立ち止まる男子学生。親の希望に沿って頑張ってこの大学にも入ったが、そのあとの道をどう切り開いたらいいのか、霧のかかった森に迷い込んで自信をなくしている。
例えば、作文に街でしなびたバラを売る子どもに対して力のないことを書いている。彼らは誘拐されてきた子どもたちで、売れなければ人攫いのやくざに殴られる。体に痣がいっぱいあると。
例えば、心の優しい学生、国慶節の休みも90歳のおばあちゃんに会いに帰った。若者として旅行にも行きたいけれど、おばあちゃんが生きている間は休みはいつも田舎に帰りますとメールに書いてある。
 それから、東京で入院中の友人の命のろうそくが、短いと知らされている。悲しくてちょっとよろける。
今日は午後、湖岸のティーハウスで、休んできます。