大学のコーヒーショップで、ボサノバを聞きながら字を打っていると、ふと自分がどこにいるのかさえ忘れてしまう。遠い昔のアメリカの大学街でもこんな時間があったかのような錯覚を受けるし(iPadなんてない時代)、あるいはつい最近東京でこんな喫茶店にはいって、ぼんやり何かを考えていたような気もしてくる。
或いは夢のなかでも、突然ひとり中国にいたことがあったっけ。

最近、思いがけないことでまるで、籠にのったお姫様の一瞬の大井川越えのように(時代劇な喩え。笑)ぽんと越え違う岸へ着いたみたいに、恐れに似たこだわりが消えた。そういうことも起きた。

昨晩、華科大時代の教え子から携帯にメッセージ。
交通大学の卒業生C君知っていますかと。なんと上海の銀行で今年の交大の卒業生が同じ部署に配属されたのだそうだ。別々の大学の学生が同じところで働くなんて。名門大学の卒業生同士、ありえないことではないが、彼女は2年前の卒業生で、日本に留学していたので一緒にいたのは4−5年ぐらい前のこと。入学したばかりの頃の顔も浮かんでくる。今はどんなに女性らしくなったかな。縁があることが嬉しい。10月に3人で食事しようということになった。

また先日、上海の某社に勤めるH君からも後輩を紹介して欲しいと頼まれ、マッチングの末、後輩がめでたく採用された。彼等ともあつまりの約束をした。
土曜日には昆山という上海の近郊の会社につとめる教え子と南京郊外で公務員になった学生が会いに来てくれることにもなった。
日曜も教え子と密会(笑)月夜の晩にも会いにきてくれた縁や、国慶節にと言う話やら…。

教え子あり遠方より来たるあり。教師冥利。

日中双方の間に倦厭意識が渦巻くそのちょっと外で、本当に親しい気持ちで会える暖かさが、私が10年(2ー3年ぐらいの気持ちだが)この国でやって来たことの成果で、いちばんだいじな部分のような気がする。