哀愁

mklasohi2012-10-20

お昼を食べて、今学期できたキャンパス内のベーカリーに寄る。
見ればコーヒーを頼んでいる人がいる、私も「モカ」を頼んでみた。待つこと久し。

確かに、今週の2年生への宿題のテーマ「私が店を持つなら」と出してそんな答えが返ってきた。私の夢なんてテーマをだしても、おもしろい答えが返ってこないから、すこし形を変えて。
女子は、リゾート地などという大掛かりなのもの以外には、洋服屋さん、喫茶店という答えが複数。喫茶店は、コーヒーを売ろうというのではなく、本があって、ゆっくり本を読むことができる場所。ヨーロッパの中世のような装飾で、店の前には花がいっぱいと、欧州旅行に行ってきた女子学生。あるいは、上海の1920年代みたいな、蓄音機からは中国の昔の歌が流れ…と、別の学生。
夏休みが終わって、そんなゆっくり本を読む場所を提供していた喫茶店がつぶれたときいた。だってそうでしょう。売り物がしっかりイメージされていないのだから。
武漢にきて足りないものが日本のような喫茶店だった。最近、レベルはすこしずつ上がってきていると思うが、売り物と共に育っていないので、次に行ったときにはつぶれていることも多い。男子はスポーツ用品店とか、アウトドア商品のお店というのもあった。なんだか時代。余暇や「働かないじかん」がそこに見える。


部屋に戻って、いろいろと済ませながら、上海にいる新聞記者のYJ君とチャット。
書くタイミングを失っていたが、副専攻で教えて7年。ほとんど常に近くにいたYJ君が武漢の新聞社を辞めて上海へ移って約2カ月。 
土地柄も、新しい新聞社もチャレンジングだからひきとめる理由はない。上海にいる日本語学科の卒業生なども紹介してあげた。たまにチャットもするので、とくに遠くにいるようでもない。ただ、こんな週末、なんだかんだと言っては現れ、何かイベントごとに行ったり、喋ってご飯を食べる気の置けない若い友人だった。
「やっぱりたまにはご飯ぐらい一緒に食べたいねぇ」と、お互い、急に武漢と上海の距離を感じた。
すると、ぼくはときどき、一匹の犬になりたいと思うんです、と。犬になってご主人さまと散歩して、お腹がいっぱいになったら、庭に帰ってきて眠る。そういう暮らし。

わぁなんて可愛んだろうなぁと思った。Simple life.
私が犬だったら、飼い主をぐいぐい引っ張って自分の好きなところに連れて行くか、あるいは鎖を取ってもらって、一人で野原に遊びにいく、そして帰ってきて冒険談をわんわん、しっぽを振って話す、飼い主が聞いていようがいまいが、かな(笑)。わんわんわん。
満足した犬のように眠る、それは同じ。



キャンパス内のベーカリーでは、「哀愁のカサブランカ」がかかっていた。どこの国の人が歌っているのかは分からない。


今週はいいことも、悪いこともあった。哀愁が100%ない人生なんてないよね。哀愁があるからこそ、智恵がまたひとつ生まれる。


できたコーヒーは私の理想より、香りがなくちょっと甘かった。それでも、わたしが中国へ来たばかりの時の苦いだけのコーヒーよりはましかな。



そういえば、東9楼となりの湖に立ち寄ったら、
湖はきれいに掃除されいたけれど、カイツブリの家が無くなっていた。
それはまるで引っ越した友達の家のあとを見つめるような、そういう景色だった。