描かれた女性たち

今夜は西安美術学院芸術研究所・佟玉潔先生の「中国当代フェミニズム芸術の視覚経験史」という講座を聞いてきた。
2-3日前東9楼の壁にに貼ってあったポスターを見て、これは面白そうだなと思った。雨の夜ゆえ、7時からとは同じ大学内とはいえちょっと億劫になったが、やっぱり行ってよかった。

西洋のビーナスから始まり、その姿が女神、聖女、妓女と柔らかさ滑らかさに共通点があること、中国では「列女」、宮女、妓女で、列女は西洋になく、中国の倫理道徳の手本となる女性たちと、描かれた女性の形や伝えるところについてまず語られた。

そうした女性像が男性の目から見たものであり、圧迫され、消費されきたことを南唐「韓熙載夜宴図」を例に当時の政治家韓熙載の妾妓にかこまれた華やかな生活が映し出された。そのほか、ポストフェミニズムの作品の数々がスクリーンに。
フェミニズムとポストフェミニズムは表裏ではなくて繋がっているとそのように感じたが、そこは詳しい説明を聞いたわけではないので、おいておいて。例えばこのような作品。

右は「韓熙載夜宴図」(南唐)。
左は現代画家・羅栄(カンムリの下は玉)の作品「倣韓熙載夜宴図(韓熙載夜宴図に倣う)」ところどころに焼け焦げの穴を作ることにより、その娼妓に囲まれた生活に疑問と批判の態度を表している。


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「国宝ファイル」で、韓熙載の華美な生活が見えてきます。

「金蓮」と呼ばれる纏足のおばあさんを映した写真もあり、「残蓮」と名付けられている。つまり中国語の「残疾」(障害がある)ということばとかけてある。歩くにも這って歩かなければならないおばあさんの足。何人かの学生に自分のおばあちゃんも纏足だった、と聞いたことがある。それはお嬢様だったの証拠でもある。


崔岫聞「天使5号」 は毎年堕胎する少女たちへの警告の気持ちも込めて描かれたもの。
                       

そして肖魯。一人二役の結婚式。Queer(酷児)の常識への挑戦だということ。

聞いたこと見たもの備忘としても書き記したいところですが、夜明けになってしまうのでこのくらいにしておきます。