キイの上の人生

今日は午後の授業に行く学生がいない。びっくり。補講の通達が行ってなかったということで無駄足を踏んでしまった。雨の日の往復。こういうときは運動をしたのだと思うことにしている。
よいことと悪いこと。人の日々は簡単な足し算引き算でもない。50℃お湯に50℃のお湯を足すと50℃、と言ったのはドン・ガバチョ、じゃ、30℃のお湯に60℃のお湯をたすと…。よくわからない。そんな感じ?

雨の夕方、公共学院の前にできた新しい食堂に入ると1年生の班長さんの女子学生にあった。先生、一緒に食べましょう。そしてその後ピアノのコンサートがありますよと。
とてもいい子。

食事が終わって彼女の同郷の学生と一緒に会場へいく。対面の公共学院の学術ホール。すでに人でいっぱいだった。傘の雫で濡れている。ずいぶん並んで席をとってから食事をしにいったのだということで、右側の席が2つ。立ち見の人の多いこと。舞台には2台のピアノ。垂れ幕に「鍵盤の上の人生」と書いてある。大学の芸術団ピアノ隊10周年記念コンサートなのだそうだ。

大学芸術団とは何かと聞くと、いわば一芸入試。点数はちょっと足りないが音楽や踊りに秀でたひとを取るシステムだそうだ。普段は各々専門学部にいるが、こういう折りに腕前を披露してみせるのだそうだ
最初は「肝子鬼」という曲。ピアノ連弾。つまり「こわがりさん」ということだが作曲「米約」ミユー?名前も曲名もぴんとこなかったが、とにかく明るい楽しい曲想。ロシア名の曲、ベートーベンOP58、ショパン・バラードとつづく。
なかなかの演奏ぶり。第一どれもそんなに簡単な曲ではない。音楽大学でも入れるかもと思える人もいる。確かにこういう能力は評価されるべきだろう。
こんな腕前は小さい時からそばにピアノがあったということ。学生に「どんな家庭の子どもたちだったのかな」と聞くと「ピアノってものすごく高いですよ。お金持ちに決まっていますよ」と。

いくら「80年後、90年後」と呼ばれる中国の飢えをしらない世代だとしても、ピアノまである家というとはそれほど多くはないだろう。現3年生など農村出身者が多くて、よく作文に農家のとりいれの楽しさなどが書いてあった。そういう家庭にはあるとは思えない。

私は不思議なものを見る目で、3-4曲聞いて、席を譲ってくれていた学生のお友達に座席を返すために、立ち見客をかき分けて外にでた。

演奏会を聞いた学生のうちの何人かは子どもにはピアノと思うだろう。豊かさがどのような生活の形を作り出していくか…。