見える声、見えない声

渋滞のひどい街を今日は朝は、友人の社区住民のヒアリングを手伝って通訳するため移動、いったん大学に戻って夜は、呼んでいただいた武漢市第59回中国成立祝賀招待会に出席のため漢口へ行った。高速道路高架橋工事が災いし、車が動かない。行きは1時間45分を要した。
その帰り、6月に武大に客員教授としてこられたY先生と一緒にタクシーに乗って戻って来たが、Y先生は、もと外交官、アルゼンチン大使経験者だ。車の中で、先生と学生たちへの教育のこと、武漢の日本人のこと、日本と中国のこれからなど、お宅の近くで車を下車されるまでかなり熱心に話し込んでいた。
先生が下車されるや、タクシーの運転手が振り返り、おれの思っていることを言っていいかという。は?ああ、どうぞ。と答えると、
「あんたたちが乗ってきたとき、ああ、日本人だなと思ってとってもいやな気がしたんだよ。いろいろあるからね。なのに、ずうっと何いってんだかわかんねぇけど、あんたたち二人がしゃべってんのを聞いていて、すごく、気持ちよくなってきたんだよ」
あら、なんと不思議。話しの内容がわからないのに、日本人に対する嫌悪感が払拭されたと言う。人の声に含まれるいったい何が作用するのか。以前音声研究会で「怖い声」って何が怖いのかと話題にしたことがあったが、音色ってそのものが言葉だ。
「タクシーの運転手なんて、大変な稼業だよ。飯が食えて、家があって、病気になったら病院にいけば会社の保険で精算してもらえるけどさ、それでいっぱい、いっぱい。中国は役人が腐っているし、ほら、交差点のど真ん中に止まっているパトカー、警察がさ、こんな交通違反をやるんだから。」「タクシー業界って黒だよ。」「タクシー会社がじゃなくて、その後ろにいるのが、黒(やくざ)なんだよ。黒幕ってわかるかい…」

見えないことばに見て取れるものもあれば、私は逆に、言葉がわかるようになってきて、もっと中国・武漢に暮らす人の声の意味がわかってきた気がする。

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