幸せの要素

mklasohi2007-11-27

お天気に誘われ、蓮池の傍の芝生の上に本を持って行ってきた。日本から送ってもらった「エスノメソドロジー―人びとの実践から学ぶ」という今年出版された社会学系の本だ。研究対象にしたいものは見えているが、中国での社会言語学的研究はまだはじまったばかりというところで、アプローチや方法論をもう少し考えたい私には予想通り面白い。
もともと外にいるのが好きだし、研修医のTさんからも10時から2時の間のお日様に当たると免疫力がつきますよと言われて外にでたが、芝生の上には仲の良いカップル、お孫さんを連れたお年寄り、新聞を読む学生。思い思いに日向ぼっこをしている。
見ると手のひらぐらいの大きさの亀を散歩させている人がいる。鉢の張った頭の形は、ここに多くいる理数系の得意な大学院生の1人と思われるが、まるで超ゆっくり走るラジコンカーを操作しているみたい。亀はのそのそ、あちこち歩く。周りの人たちも、興味深そうに眺めている。次に頭を上げたときにはいなくなっていたが、おそらく30分ぐらいは甲羅干しをしていただろう。
ところで、私は人の自慢話を聞くのがそんなに苦痛ではない。もちろんしつこいのは嫌だし万一それが嘘であっては信用に関わると思う。が、適当な長さで真実なら、大概へぇとか、そうなんだと思って、その人の輝かしい部分や楽しそうな体験を共有できることの方が、「私など…」と言われたまま、なんの理解が進まないより面白いと思う。
人それぞれ自慢したいことの一つや二つはあるだろうし、意図せずにそうなっている場合や、すでにその生活スタイルやその存在自体が誰かを羨望させていることもあるので、積極的にしないからと言って消極的にしてないかといえば、していることになる。そんなややこしい状態なので、私はそれが嘘でない限り、人の自慢は気にならない。これはある人に「人の自慢話は許せるか」と聞かれて考えた答え。
さて、お天気が良く、体力が回復して、多少時間に余裕があることが今日わたしの幸せ三要素だが、亀吉君の飼い主の人は亀吉君の免疫力が上がったことを誇りに思い、幸せ度がアップしたかもしれない。人のすることは、周りから観察され説明づけられている。

急に気温が下がった日もあり、今年は紅葉の赤が美しい。