鉄輪(かなわ)

夜11時の中南路、珞喩路を自転車で走る、その横をなぜかXさんが疾走。
どんなシナリオでこんなシーンが起こるのか。神様の書く台本には思いがけなく面白い展開が指示されるものだと笑う。昨日はちょっと門限破りになった。
 一時帰国までに時間もなく、また今週は補講で土日もなく、かつ片付けておくべきことを片付けようとすると睡眠不足になりがち。
 今日は「能」の「鉄輪」を20分だけ2年生に見せた。舞台挨拶での敬語を聞き取る部分と一部「能」そのものを体験してもらうことで使った。夫に捨てられた妻(シテ)が鬼となって取り殺そうとするが、陰陽師の祈祷によって退散させられるという物語、勿論せりふを聞いて分かることはない。
 が、芸能文化の力、鬼と化す前の女が白い着物をかけて現れてくるところ、せりふのないところ、白足袋の足の運び、隠した顔を覆うところに、悲しみも恨みも何か圧倒的に伝わってくるものがある。
 学生たちにとって、幽玄や怨念そして情念が静かにかつ激しく交差していく世界は心に新鮮に、深く残るものがあったと思う。
 人のコミュニケーションの65%は言語以外で表されると言われている。ニュース映像等もその65%に注目するとより正確なメッセージが読み取れることがある。言葉を教える仕事でありながら、言葉以外で人が伝えようとするものにも目が行ってしまう。